大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)4042号 判決

申請人 杉山幸太郎 外五名

被申請人 小林製薬株式会社

主文

申請人等の本件仮処分申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一申立

申請代理人は「被申請人が申請人等に対し昭和三十三年五月一日附でなした解雇の意思表示の効力を停止する」との判決を求め、被申請代理人は申請却下の判決を求めた。

第二申請の理由

申請代理人は次のように陳述した。

一  申請人等は、いずれも被申請人(以下、会社という)に雇われ、その従業員として勤務していたものであるが、昭和三十三年五月一日附で会社から懲戒解雇の通告を受けた。

二  しかしながら右解雇の意思表示は懲戒に名を藉りて申請人等が後記労働組合の組合員として正当な行為をなしたことの故になされたものであつて労働組合法第七条第一号の不当労働行為を構成するから無効である。

三  会社の申請人等に対する差別待遇の意思は次の事情から明らかである。

1  (会社及び労働組合の概況)

会社は資本金二千三百万円を以て医薬品の製造、販売を営み大阪市東淀川区に本店、東京都中央区(日本橋本町)に支店(以下、本町店という)、同都新宿区及び品川区(大井関ケ原)並びに横浜市中区に本町店の統轄する営業所(以下、右所在地の順により新宿店、大井店、横浜店という)を設け約六百五十名の従業員を擁するものである。しかして本町店並びにその管下営業所に勤務する従業員中申請人等を含む百四十名は昭和三十二年五月十二日小林製薬東京支店労働組合(以下、組合という)を結成した。なお右従業員中組合に所属しない約六十名は同年九月二日小林製薬東京支店従業員組合(以下、従組という)を結成した。

2  (組合結成前後における会社の態度)

会社は組合結成の前後にわたり、その弱体化を企て露骨な支配介入を重ねた。例えば、

イ 組合結成の運動は同年二月中から極めて隠密裡に進められていたのであるが、会社はこれを察知し同年五月上旬会社の意に従う職制を組合役員に選出させるべく本町店営業部次長山本金男、横浜店販売係主任近藤友太郎等数名の職制を通じて従業員に働きかけた。

ロ しかし、その効果が期待し得ないところから、会社は、その頃従業員から組合結成運動の中心人物を探知し(従業員上松不二夫は山本営業部次長からその点を尋ねられた事実がある。)、申請人等を含む組合結成準備委員十一名を集め組合結成大会が外部と関係なく社内で開催し得るよう取計らうべき旨を右営業部次長を通じて申出た。

ハ その頃本町店の女子従業員十数名は同店経理部次長谷口正から組合の役員には、おとなしい者を選べと言われた事実があり、

ニ 又同月十一日頃横浜店の従業員中寄宿寮居住の十数名は同店主任代理永田彰から組合の役員には会社とうまく行く職制を選べと言われた事実がある。

ホ 組合は同月十二日の結成大会において決定したところにより東京一般中小企業労働組合連合会(以下東京一般という)に加入したのであるが、本町店長中松光治は同年七月中組合の執行委員長たる申請人杉山幸太郎に対し東京一般からの脱退を要求し直ちに回答をなすべく迫つた。

3  (従組結成当時における会社の態度)

会社は従組の結成に加担して組合の弱体化を図つた。例えば、

イ 会社は同年八月下旬頃から本町店管下各営業所主任及び本店から急派した職制五名を通じて組合の組合員に対し組合からの脱退、従組えの加入を強制した(新宿店長中島三四郎は同月二十八日から同店勤務の組合員数名に対し個別的に、又本店の職制古山忠治等はその頃本町店勤務の組合員に対し、それぞれ組合からの脱退、従組えの加入を運動すべく強要し本町店総務部次長関根武は同月三十一日同店勤務の女子組合員に対し、又前記古山忠治はその頃横浜店勤務の申請人近藤久夫を含む組合員数名に対し、それぞれ組合からの脱退を説得又は強要した事実がある。)。

ロ 組合は同月二十九日会社の企図を察知したので組織防衛のため組合員に対する個別説得及び集会を行うべき緊急の必要に迫られたのであるが、会社は同月三十一日申請人等組合幹部が新宿店内の寄宿寮において同店勤務の組合員に対し情勢を説明中退去を要求して警察官に臨場を求める挙に出たのみならず、組合が各種集会活動のため会社施設を利用し得る慣行を一方的に破棄し組合に対し会社施設の使用を認めない旨を通告し組合活動に支障を与えた。

ハ 会社は又同年九月一日(日曜日)申請人等組合幹部が大井店勤務の組合員に情勢を説明すべく同店内の寄宿寮に赴こうとしたところ平常なら日曜日でも開けている店舗を、ことさらに閉鎖して立入を阻止した。なお本町店においても日曜日とはいえ職制が出勤中であつたからには当然開いているべき門扉を、ことさらに閉鎖して組合員の立入を妨止した。

4  (その後における会社の態度)

会社の組合嫌忌の意識は、その後も事毎に露呈した。例えば、

イ 会社は従組結成後も組合の組合員に対し職制を通じて組合からの脱退を強要した。

ロ 会社は組合の情報宣伝活動を抑圧する目的で同年十一月頃本町店の寄宿寮(東京都台東区入谷町及び千代田区神田佐久間町所在)につき部屋割の変更を命じ組合の活動家を右入谷町の寄宿寮に集めて、その活動を封じようと計画した(もつとも、これは組合の抗議により撤回された。)。

ハ 組合は同年七月二十五日会社に対し販売員手当等の増額等を要求し会社が誠意を以て応じないところから同年十月十六日東京都地方労働委員会に斡旋の申請をなしたのであるが、会社は右斡旋を拒絶したのみならず、従組との間において販売員手当につき組合の要求と同額の増額をなす旨の協定を結び組合がやむなく右協定と同一の取扱を要求する旨の通告をなしたに拘らず、同年十二月の給料支払日には従組加入の販売員に対してだけ右増額された手当の支給をなし、組合加入の販売員に対しては、その支給をしなかつた。

ニ 同月下旬従組加入の従業員が組合加入の従業員に対し仕事上の不利益を与えたことに端を発し従組の組合員安藤晴男が組合の執行委員花輪令子を平手で殴打する事件が生じ、その後昭和三十三年一月二十六日右花輪の職制で従組の組合員たる守屋利子が新宿店長中島三四郎の面前で将来仕事の運営を円滑にするため花輪令子と話合い中同人を平手で殴打した(しかも中島店長は、これを制止しようともしなかつた)事件が生じた。ところが会社は右安藤及び守屋の行為が就業規則に触れ当然懲戒に付さるべきものであり且つ組合から再三これを要求したにも拘らず、なんらの処置もしなかつた。

5  (後記争議当時における会社の態度)

会社は後記争議状態発生後特に組合嫌悪の念を強め、あらゆる手段を連続的に用いて組合の壊滅を図つた。例えば、

イ 会社は組合の組合員と幹部との離反を企て同年四月十二日以後一日二、三回にわたり申請人等組合幹部に対する誹謗に充ちたビラを組合員に配付して悪宣伝を行なつた。

ロ 会社は右同日以後組合の上部団体(東京一般及び中央区労働協議会)との団体交渉を理由なく拒否するとともに組合に対し右上部団体を団体交渉に参加させないことを要求して組合の運営に干渉した。

ハ 会社は同月二十二日本店から本町店に二十名位の従業員を動員してスキヤッブ要員とすると同時に組合加入の販売員に一名宛着きまとわせて、その組合からの脱落を計り又組合の団体行動を妨害させ同年五月一日には、その要員を四十五名位に増加動員した。

ニ 会社は争議中の同年六月中旬組合員(多くは新潟、長野、山形、福島、埼玉、千葉の出身である。)の父兄に依頼し肉親危篤の電報を打つ等して組合員を帰郷させるように策動した(その結果十数名の組合員に右趣旨の偽電が打たれた。)。その他組合員の父兄に組合幹部を誹謗する文書を、又顧客先に組合員を侮辱する文書を各配布した。

ホ なお横浜店に会計業務全般を処理する会計係として勤務していた組合員の望月芳子は同年四月二十三日組合が行つた二十四時間ストライキに参加したのであるが、翌二十四日これを理由に会社から金銭出納に関する事務を取上げられた。

6  (申請人等の組合活動)

申請人等は組合の結成をその運動の中心となつて推進しこれが達成と同時に組合員となり且つ申請人杉山幸太郎は執行委員長、申請人大沢悟は副執行委員長、申請人山口嘉昭は書記長、その余の申請人等は、いずれも執行委員に選ばれたものであつて、その後は他の執行委員十二名中保科汪平、寺本堅一、児野博光、輿石重智、丸山国雄、保坂光徳の六名(その余の六名は殆んど活動しなかつた。)とともに組合の中核として会社の支配介入を排除するため活溌に行動して来た。これがため右に氏名を掲げた六名の執行委員も申請人等と同時に会社から懲戒解雇の通告を受けた(もつとも、その後東京都地方労働委員会の斡旋により撤回された。)。

以上の次第であるから会社が組合の組織壊滅を企図し懲戒に仮託して組合の中心的活動家を完全に組合から排除せんとしたものであることは明らかである。

四  従つて申請人等と会社との間には依然として雇傭関係が存続すべき筋合であるから、申請人等は会社を相手取り、これが確認の訴を提起すべく準備中であるが、なに分賃金生活者であるため賃金の支給を断たれている現状においては早晩その家族とともに路頭に迷わざるを得なくなることは必定である。よつて本案判決確定に至るまで仮処分により救済を受ける必要がある。

五  被申請人は本件解雇が差別待遇の意思に基くことを争い、これと表裏の関係において申請人等に対する懲戒事由の存在を主張するが、右主張事実は否認する。この点に関する後記第三の三の1ないし5の事実の存否は以下のとおりである。右1の事実中組合が会社に対し被申請人主張のような内容の賃上げを要求し右要求に関する団体交渉を申入れたこと、会社が平均月額七百七十円の定期昇給を実施したこと、会社と組合との間において被申請人主張の日時以降団体交渉が行われたこと、組合が被申請人主張日時争議権を確立し全面的時限ストライキを行つたことは認める。会社の従業員に対する給与が被申請人主張の平均額となり同業他社に比し低劣でなかつたことは不知。その余の事実は否認する。組合がストライキを決行するに至つたのは外でもなく次の事情が存したからである。すなわち会社の従業員に対する給与は当時平均月額金千四百円ないし二千三百円(平均二千円)の本給を十数項目の諸手当を以て補い勤続年数三年の者(二十三歳)ですら、その基準内賃金が金八千九百円に満たないように仕組まれ実際上従業員に不利益を強いる労働条件をなしていたところ会社は前記三の4のハの販売員手当増額問題を処理するにあたり組合に対し給与体系の全面的改訂を約しながら昭和三十三年一月十八日組合から、その履行を求められるや、これが実施には相当日子を要するとして事実上拒否に等しい回答をなし同月二十七日組合から、その代案として提出された被申請人主張の賃上げ要求に対しても被申請人主張の定期昇給を以て局面を糊塗せんとし同年三月三日から同年四月二十二日に至るまで前後七回にわたつて行われた団体交渉においても組合の右要求を理由なく拒否し組合をしてストライキ決行のやむなきに至らせたものである。次に2の事実は真相に合致しない。そのイの事実中会社と組合とが同年四月二十二日午後八時から本町店二階事務室で団体交渉を行い翌二十三日早朝に及んだことは認めるが、その余の事実は否認する。ありようは次の事実を出でない。すなわち組合はストライキを回避するため円満解決を期して団体交渉に臨み大幅譲歩の意向があることを表明したのに会社は頭から組合の要求を拒否するだけで、その経理上の根拠等については全く沈黙を守り結局組合を納得させるに足る回答を示さなかつた。このような会社の不誠意のため交渉が進展せず遂に徹宵に及んだとはいえ、会社側交渉委員は、その間に組合の提案により同月二十二日午後九時二十分から十時五十五分まで、翌二十三日午前一時二十分から四時までの二回、職制が待機中の三階別室において休憩をとつた事実すら存し、もとより交渉の継続には任意に応じたものであつて申請人等が、これを強要したものではない。しかして第一回目の休憩後再開された団体交渉には組合側交渉委員以外の組合員及び外部団体員各二、三名が交渉の場所に立入つたが、四十坪もある、そこの一隅で交渉を傍聴しただけであつて会社側交渉委員に対する侮辱、脅迫の言辞を発する等正常な交渉を阻害する所為があつたものではない。しかるに会社側交渉委員は第二回目の休憩後その申出により再開された交渉において組合側交渉委員(当時申請人杉山幸太郎、同山口嘉昭、同和田端夫、同近藤久夫、申請外保坂光徳、同彦根久、同大沢栄一の七名が出席していた。なお右大沢は当時東京一般中小企業労働組合連合会常任書記であつた。)が鋭意交渉に努力中突如団体交渉の打切を一方的に宣言して席を立ち組合側交渉委員が驚きの余り立上つて交渉の継続を要請しても聴き容れず自ら机を動かし出口附近で右要請を重ねた組合側交渉委員の保坂光徳を押し除けて退出せんとした。そこで申請人杉山幸太郎は組合の執行委員長として、とつさの間に交渉継続要請のため組合員の協力を得る外はないと判断し折柄団体交渉の成果を期待して階下に居合わせた組合員約十名に呼掛けたが、これよりさき会社側交渉委員は前記労働組合連合会の大沢書記の説得により飜意のうえ席に復した。その間に申請人等及び組合員が会社側交渉委員の退出を実力で阻止して不法に監禁した事実はない。もつとも申請人和田端夫が一時、側面出入口の扉の把手を細紐で縛したのは事実であるが、その細紐は僅か五分後には解かれたのみならず、他に出入口がなかつたのではないから会社側交渉委員の出入の自由が奪われたわけではない。又申請人和田端夫が机に手を掛けたのも事実であるが、それは会社側交渉委員が退出せんとして動かした机の位置を直したにすぎない。ロの事実中、申請人等中近藤久夫を除く、その余の者が他の組合員とともに新宿店に赴き主任代理飯島潔に抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、その抗議の内容は同店の職制が組合員に対する差別待遇をなしたことにあつた。ハの事実中、申請人等中大沢悟、山口嘉昭及び近藤久夫を除く、その余の者が横浜店に赴き同店販売主任近藤友太郎に対し集金業務に関する抗議をなし次で右申請人等に組合員(但し約十名。申請人近藤久夫を含む)及び外部団体員(但し神奈川地評の幹部)が加わり組合旗取降に関する抗議をなしたこと、その間に組合員たる輿石重智、児野博光、丸山国雄が同店に到り又組合員がアヂビラを貼布したこと、その後医師の来診があつたこと、神奈川県会議員伊藤博が斡旋を行い外部団体員(但し神奈川地評の関係者)が、その交渉に当つたことは認めるが、その余の事実は否認する。申請人等中大沢悟、山口嘉昭及び近藤久夫を除く、その余の者が横浜店に赴いたのは次の事情によるのであつて他意があつたものではない。すなわち、その日の午前中本町店店長代理営業部長滝尻徹は組合加入の販売員の集金業務を差止める旨の業務命令を発し、組合から文書を以て争議予告もしていない時機に、かような業務命令を出すのは組合員に対する差別待遇であつて不当であること又組合は集金ストライキを絶対に行わないことを理由に右業務命令の撤回を要求したに拘らず、これに応じなかつた。しかるに同店管下の横浜店においてはかねて組合の弱体化を狙う近藤主任がその一存で恩着せがましく組合所属の販売員にも集金業務を行わせている事実が明らかとなつた。そこで組合の執行部は近藤主任の措置に組合分裂工作の疑を抱き同主任に事情の説明を求め場合によつては抗議する必要があつたからに外ならない。しかして又組合員等が組合旗取降に関する抗議をなした経緯は次のとおりである。すなわち組合の執行委員(横浜店勤務の従業員から選出)たる申請人近藤久夫は、その日の午前中神奈川地評からその組合旗を借用のうえ同店の二階から外側に掲揚したところ前記集金業務に関する交渉中の午後八時頃右組合旗が非組合員によつて取降のうえ隠匿されたことが判明したので直ちに神奈川地評に連絡するとともに近藤主任に、その返還を要求した。これに対し近藤主任は当初これに関知するところがないという態度を持し同日午後九時頃漸く組合旗を返還し更に詫状の差入まで承諾したが、本町店営業部長滝尻徹から電話連絡を受けるや、にわかに態度を変えて陳謝の意思のないことを表明するに至つた。そこで同日午後八時三十分頃から交渉に参加していた組合員約十名及び神奈川地評の幹部は近藤主任の態度豹変に憤激して、これに抗議をなしたのである。なお来診の医師は非組合員たる井上ミつよが裏木戸を閉ぢたので店内に立入れなかつたにすぎない。次に3及び4の事実は否認する。5の事実中会社がその主張のような理由で懲戒解雇をなしたものであることは認める。

六  被申請人主張の後記第三の四の抗弁事実中会社が解雇の意思表示をなすと同時にその予告手当を提供したこと、申請人等中近藤久夫を除く、その余の者が右予告手当を受領したことは認める。しかしながら右申請人等は会社から解雇通告及び予告手当の郵送を受けるや直ちに本町店の滝尻営業部長に面会して解雇の撤回を要求すると同時に右予告手当を返戻すべく差出したが右営業部長が受取らないので解雇処分を争う旨を表明したうえ右予告手当を一時預ることにしたにすぎないのである。又申請人近藤久夫は会社から解雇通告及び予告手当の郵送を受けるや直ちにこれを返送しながら、その後会社が弁済のため供託した右予告手当の還付を受けるに至つたが、それは昭和三十三年八月中東京都地方労働委員会の斡旋により会社との間に解雇の当否は訴訟を以て決すべき旨の諒解が成立したからに外ならない。いずれも予告手当の受領にあたり異議を止めたのであるから被申請人主張のように合意解雇が成立すべきいわれはない。

第三答弁及び抗弁

被申請代理人は次のように陳述した。

一  申請の理由として掲記の第二の一の事実は認める。同二の事実は否認する。同三の事実中会社が組合の壊滅を企図し懲戒に仮託して組合の中心的活動家を排除せんとする(末尾記載)差別待遇の意思を有した(冒頭記載)ことは否認する。その事情として主張された1ないし6の事実の存否は以下のとおりである。1の事実は認める。2の事実中会社が組合結成前後において、その弱体化のため支配介入をなしたことは否認する。その例示として主張されたイの事実中組合結成の運動が隠密裡に進められていたことは不知、その余の事実は否認する。ロの事実中本町店営業部次長山本金男が会社施設の供与につき発言したことは認めるが、それは組合が結成される以上労使友好裡に事が運ばれることを望んだからに外ならず、もとより他意があつたものではない。しかも右営業部次長は、その求めに応じて組合結成の世話人として集合した者に対し「会社内で発会式をやつてはどうか」と言つたまでのことである。その余の事実は否認する。ハの事実は真実に反する。本町店経理部次長谷口正はその個人的見解として「当社のような形態の企業の組合では銀行の組合のようなのが望ましい」と言つたにすぎない。ニの事実は否認する。ホの事実中本町店長中松光治が申請人等主張の上部団体からの脱退を要求したことは否認する。右店長は申請人杉山幸太郎に対し「個人としては組合が自主性を失わぬため上部団体に加盟しない方がよいと考える」と見解を表明したにすぎない。3の事実中会社が従組の結成に加担して組合の弱体化を図つたことは否認する。その例示として主張されたイの事実中会社が本店から本町店に従業員を派遣したことは認めるが、それは自社製剤の販路拡張の目的に出たものであつて他に底意があつたものではない。その余の事実は否認する。ロの事実中新宿店内の寄宿寮において申請人等が同店勤務の組合員と会談中会社が退去を要求し警察官の臨場を求めたことは認める。しかしながら、その事情は次のとおりである。すなわち申請人等及びこれに同行の外部団体員は右店内の食堂の使用を申出たが新宿店長中島三四郎において夜間でもあり集金上手違が生じる虞があること(当日は集金日であつた。)を考慮して拒絶したところ、擅に寄宿寮に立入つた。そこで同店長は直ちに退去を命じたが申請人等及び外部団体員が、これを肯んぜす、かえつて「警察官を呼べ」と口走つたので、やむなく警察官に臨場を仰いだものである。従つて右店長の措置は適切で、なんら怪しまれるいわれはない。又会社が従前組合に集会のため会社施設を利用させていたところ、その後組合に対し会社施設の利用を認めない旨を通告したことは認めるが、それは従組が結成に至るときは事態が紛糾することを虞れ、これを回避するために講じた措置にすぎない。しかも、ひとり組合だけでなく従組に対しても同様の通告をなし組合、従組とも当時異存がなかつたものであるから今更云為さるべきいわれはない。ハの事実中申請人等が大井店に赴いたこと、本町店が閉鎖されていたことは認めるが、大井店において会社が、ことさらに組合員の行動を妨害したことは否認する。申請人等は外部団体員とともに早朝同店内の寄宿寮に就眠中の組合員全員を起して屋外に連れ出した事実があつたにすぎない。又本町店は日曜日のため閉鎖されていたものである。4の事実中会社が組合嫌忌の意識を有したことは否認する。その例示として主張されたイの事実は否認する。ロの事実は真相に反する。ありようは、ただ本町店の寄宿寮に居住する従業員の勤務時間に販売員と非販売員とで差異があるため寄宿寮勤務の女子従業員が不便を感じているところから寮会議において販売員と非販売員とを別々の寄宿寮にふりわける計画が樹てられ後に都合によつて取止めとなつた事実があるにすぎない。ハの事実中組合が東京都地方労働委員会に斡旋の申請をなし会社が、これに応じなかつたこと、会社が従組との間において販売員手当増額の協定を結んだこと、会社が昭和三十二年十二月の給料支払日に従組加入の販売員に対してだけ増額された販売員手当を支給したことは認める。しかしながら組合が右地方労働委員会になした斡旋申請は当時会社が販売員の時間外勤務に対し、なんら手当を支給していないという誤つた認識のもとに、これを以て労働基準法違反であると主張し、その支給を求めたものであつて申請人等主張のように販売員手当の増額を求めたものではなく又会社が右斡旋に応じなかつたのは行政解釈としても右主張が失当であることを確認したからであつて申請人等主張のように会社に誠意がなかつたためではない。しかして会社が従組との間において販売員手当増額(但し三百円から八百五十円に)の協定を結んだのはたまたま従組からその要求があつたからにすぎないし従組加入の販売員にだけ右増額分の販売員手当を支給したのは組合との間において同様の協定成立次第支給すべき旨の諒解を取付けたうえのことであつて、いずれも組合を疎外したものではない。現に組合との間において間もなく右同額の増額をみるべき協定が成立し組合加入の販売員に対してもこれに基き増額分の手当が支給されているのである。ニの事実中会社の従業員安藤晴男が組合の組合員たる花輪令子を平手で殴打した事件並びに会社の従業員守屋利子が新宿店長中島三四郎の面前で右花輪を平手で殴打した事件(但し、その日時は昭和三十三年二月末頃であつて申請人等主張のように同年一月二十六日ではない。)があつたことは認める。その経緯並びに事後の顛末は次のとおりである。すなわち安藤晴男は花輪令子から在庫品の出荷を依頼されながら、これが聴取れないでいたところ喰つてかかられたため同人と口論の末暴行に及んだものであるが(申請人等主張のような原因ではない。)、誤解に基因したことが判明したので直ちに謝罪し右花輪の宥しを得たところ昭和三十三年一月二十七日組合の幹部から更に陳謝を求められ、やむなく、これに応じた。又守屋利子はかねてから花輪令子と不和であつたため中島店長から、その解消を勧められ右花輪と対談中激昂の余り暴行に及んだものであるが、中島店長は直ちに右守屋を叱り付けて花輪の宥しを得させたところ(申請人等は中島店長が制止しようともしなかつたと主張するが全く事実にそわない。)、申請人等は後に至つて右守屋のみならず、事情を説明せんとした中島店長に対してまでも面罵を加えた。いずれにしても右二個の不祥事は従業員間の感情的対立に基く些細な事柄であつて、会社が懲戒を以て臨まなかつたからとて特段のことはないのである。5の事実中会社が争議状態発生後組合を嫌悪してその壊滅を図つたことは否認する。その例示として主張されたイの事実中会社がビラを配付したことは認めるが、それは組合との団体交渉の真相を知らせる目的に出たものであつて、もとより他意があつたものではない。ロの事実中会社が組合に対し申請人等主張の上部団体を団体交渉に参加させないことを要求したことは否認する。ただ上部団体員が団体交渉に加わることは望ましくない旨を表明したにすぎない。もとより上部団体員が参加する団体交渉を拒否した事実はない。なお右上部団体が独自の団体交渉権を有するものとは解されない。ハの事実中会社が本店から本町店に従業員を派遣したことは認めるが、それは組合が集金ストライキを行う気配が濃厚であつたので集金業務応援の目的に出たものであり、その人数は総計三十名であつた。その余の事実は否認する。ニの事実中組合員(但しその人数の点は不知。)がその父兄から肉親危篤の趣旨の電報を受取つたことは認めるが、これが会社の策動によることは否認する。又会社が組合員の父兄並びに顧客先に文書を配布したことは認めるが右文書の趣旨が申請人等主張のようなものであつたことは否認する。ホの事実中横浜店に勤務していた組合員の望月芳子が申請人等主張のストライキに参加したことは認めるがその余の事実は否認する。6の事実中申請人等がその主張のような組合の役職にあつたこと、会社が申請人等主張の六名の者にも解雇の通告を発し後にこれを撤回したことは認めるが、申請人等の組合活動の事実は不知。申請の理由四の事実は否認する。

二  会社の申請人等に対する解雇の意思表示は要するところ申請人等主張のように差別待遇の意思に基いてなされたものではなく、むしろ後記のように申請人等に懲戒解雇に値する事由があつたため会社の就業規則に照してなされたものであつて、もとより適法な行為であるから会社と申請人等との間に存在した雇傭関係は右意思表示が申請人等に到達した昭和三十三年五月二日限り終了した。

三  申請人等に対する懲戒事由及びこれらに関連する事情は次のとおりである。

1  (争議の発生)

組合は会社に対し同年二月十七日独身者につき十割、妻帯者につき二十割の賃上げを要求し同月二十五日右要求に関する団体交渉を申入れた。しかし元来会社の従業員に対する給与は当時基準内賃金の平均月額が男子の場合金一万二千六百二円、女子の場合金九千四百六十四円であつて同業他社に比し決して低劣ではなかつたのみならず、右同日会社において定期昇給を実施した結果平均月額にして金七百七十円の増額となり、本店勤務の従業員が組織する小林製薬労働組合(以下、本店組合という)及び従組とも、これに満足している状態であつたので、右両労働組合より組合員の数も少い組合からなされた前記賃上げ要求は、にわかに会社を動かすに足るものではなかつた。ところが組合は同年三月三日以降再三行われた団体交渉において会社がその理を説明しても聞き分けなく、ひたすら右要求を貫徹せんがため同年四月五日組合大会において争議権を確立し同月二十三日には二十四時間を限つて全面ストライキを行うに至つた。

2  (事件の発生)

組合は右争議中の同月二十二日から二十九日に至るまでの間において次のような行動を計画、実行した。

イ (同月二十二、三日の事件)

会社と組合とは同月二十二日午後八時から会社の本町店二階事務室で団体交渉を行つたのであるが、申請人等は会社の制止に拘らず予め会社から諒解を得た組合側交渉委員十一名以外の組合員及び部外者多数を右交渉の場所に導入し且つ多衆を恃んで会社側交渉委員に交渉の継続を強要した。しかして右組合員及び部外者は口々に会社側交渉委員に対し侮辱、脅迫にわたる言辞を浴せた。会社側交渉委員は、かような状況のもとに徹宵を余儀なくされ翌二十三日午前四時三十分頃に及んだので組合側の交渉方法は会社との取極めに反するのみならず正常な交渉を不可能にするものであるとして右事務室から退出せんとしたところ、その階下に待機中の組合員十三名は申請人杉山幸太郎の指令に応じて忽ち右事務室に立入りその正面出入口を扼し組合員保坂光徳(執行委員)は会社側交渉委員の前面に立塞り、その間に申請人杉山幸太郎、同和田端夫は側面出入口附近に事務机、椅子等を配し又申請人和田端夫は、その扉の把手を紐で縛する等、互に協力して会社側交渉委員の退出を実力を以て阻止しその後約一時間にわたり同委員を不法に監禁した。しかして申請人等はその間に右交渉委員に着席を強要し多数の組合員ととも侮辱、脅迫を加えた。

ロ (同月二十六日の事件)

申請人等は同月二十六日午後六時三十分頃組合員約四十名及び外部団体員とともに会社の新宿店に押掛け、たまたま不在の同店長に代えて主任代理飯島潔を呼出し、その後約二時間にわたり同人を取囲んだうえ「組合の情報を報告しているのは怪しからぬ」と詰問し「詫状を書け」と迫り卓を叩き大声を発して威嚇し又組合員が店内に貼付したビラを剥したとか、組合旗に手を触れたとか言つて詰問した挙句、申請人杉山幸太郎、同大沢悟が交々「外部団体員はその道の熟練者で普通なら、ただではおかぬのだ。この次も、こんな様子では、どのようなことになるか判らぬ」と申向ける等して脅迫した。

ハ (同月二十八、九日の事件)

申請人和田端夫、同中村郁雄は同月二十八日午後七時過ぎ外部団体員とともに会社の横浜店に押掛け同店販売主任近藤友太郎が所用で外出せんとするのを阻止して面談を求め、近藤主任がこれに応酬中同店に到つた申請人杉山幸太郎は右主任を突き飛ばして着席させ全員で同主任及び同店主任代理永田彰を取囲み会社の集金業務に関し右営業所限りで組合員と協定を結んだことを難詰し次で終業後一旦退店した同店勤務の組合員約二十名を店内に呼び入れ更には外部団体員を電話で呼び寄せて勢威を加えたうえ組合の掲揚した組合旗が何人かに取降されたことにつき近藤主任及び永田主任代理に責任があるとして文書による謝罪を要求し怒声を放ち罵倒を浴せて、いわゆる吊し上げを行い又組合員をして店内隈なくアヂビラを貼布させ、事務机に駈け上り、永田主任代理の面前にある机上のゴム敷にペン軸を突き刺し、椅子を破壊する等の乱暴をなしたに止まらず、電話機を奪つて外部との連絡を遮断し且つ同店勤務の非組合員十数名を食堂に押し込めて近藤主任及び永田主任代理と隔離したうえ同人等を足蹴にしたり小突いたりして暴行をなした。しかして申請人杉山幸太郎は、たまたま会社の本町店から電話が掛ると、その電話口で「近藤は危いですよ。死ぬかも知れませんよ」と大声を上げ同店の職員を脅迫した。かくするうち同日午後十一時三十分頃組合員たる輿石重智、児野博光、丸山国雄(いずれも執行委員)が馳せ付け食堂の出入口を扼して、さきにその内部に押し込められた非組合員の監視にあたり翌二十九日にかけ徹宵して同人等を不法に監禁した。その間において近藤主任が暴行、脅迫のため顔面蒼白となつたので非組合員が医師の来診を計つたところ、申請人杉山幸太郎、同和田端夫、同近藤久夫は右医師の立入を許さなかつた。しかして近藤主任及び永田主任代理は同日午前零時頃神奈川県会議員伊藤博から斡旋の申出を受け横浜店二階の日本間で同人及び外部団体員永田某と会談するところがあつたのであるが、申請人杉山幸太郎、同和田端夫、同近藤久夫、同中村郁雄は同日午前三時頃右伊藤が斡旋を打切つて退出するのと入れ替わりに右日本間に立入り近藤主任及び永田主任代理に詫状の差入を強要したうえ殴打、打擲等をなし更には有合わせた将棋盤を投げ付け又近藤主任を投げ飛ばす等暴行の限りを尽した。これがため近藤主任は全治まで一週間を要する全身打撲傷、永田主任代理は左側鼻出血の各創傷を蒙つたほか、非組合員たる日比野二郎も側杖を喰つて全治まで三日間を要する右頬部打撲傷を受けた。

3  (右事件に対する申請人等の責任)

申請人杉山幸太郎は組合の執行委員長、申請人大沢悟は同副執行委員長、申請人山口嘉昭は同書記長、その余の申請人等はいずれも同執行委員として組合の闘争手段を謀議し会社との団体交渉に組合員及び外部団体員による圧力を加え、これを有利に展開せんがため前記2のイの行動を企画、立案し又組合幹部及び外部団体員が主体となり組合員の加勢を得て、その面前で会社の本町店管下各営業所の職制責任者を吊し上げて会社に威圧を加え且つ組合員の士気昂揚を図らんがため、これが計画の一環として前記2のロ及びハの行動を企画、立案したのみならず、右イについては申請人等全員が、又ロ及びハについては申請人杉山幸太郎、同和田端夫、同近藤久夫、同中村郁雄がその現場において卒先実行に当つたものであつて、いずれも右事件につき個人的責任を免れない。

4  (勤務状況)

申請人杉山幸太郎、同大沢悟、同山口嘉昭、同和田端夫、同中村郁雄は平素勤務に怠慢で、その成績も不良であつた。

5  (懲戒事由及び就業規則の適用)

会社は申請人等全員につきその前記各所為中特に2のイ及びハに関するものを、又申請人等中近藤久夫を除く、その余の者につき右に加えて前記4の事実を取上げ、会社の就業規則上懲戒事由として掲げられた「不法に上長に反抗し、他の従業員に侮辱、暴行もしくは脅迫を加え又はその業務を妨害したとき」(第百四十一条第七号)、「不正、不義の行為をなし従業員としての体面を汚したとき」(同条第二十一号)、「勤務怠慢であるとき」(同条第四号)に該当するものとし右就業規則第百五十条に基き懲戒解雇に付したのである。

四  仮に会社から申請人等に対してなした解雇の意思表示が一方的告知としての効力を生じないことがあるとしても相手方が承認する限り雇傭終了の効果を付与しても妨げがあるものではないから右意思表示は雇傭解約の申込と解する余地があるところ、申請人等は昭和三十三年五月二日会社が右意思表示をなすと同時に提供した解雇予告手当を、なんらの異議も止めず受領して少くとも暗黙に右申込を承諾したので会社と申請人等との間においては解雇の合意が成立し、これにより雇傭関係が終了した。

五  なお申請人主張の前記第二の五の事実中会社が本町店及びその管下各営業所の従業員に対し集金業務差止の業務命令を発したこと、しかるに横浜店において近藤主任が従業員に集金業務を行わせたことは認める。会社が右業務命令を発したのは組合が集金ストライキを行う気配が濃厚であり且つ争議中のこと故集金上の事故が発生する虞があつたため、ひとり組合に所属する販売員に限らず全従業員に対する措置としてなしたものである。横浜店で集金業務が行われたのは近藤主任と従業員との間に右業務命令の実施を留保すべき旨の協定が成立したからであつて他に特段のことが存したものではない。

第四疏明〈省略〉

理由

一  申請人等と会社との間に雇傭関係が成立した点、会社から申請人等に対し解雇の意思表示がなされた点に関する前掲申請の理由一の事実竝びに右解雇が被申請人主張の事由を以て懲戒処分としてなされたものであることは当事者間に争がない。

二  しかるところ申請人等は右懲戒事由の存在を争うとともに右解雇の意思表示を以て申請人等の正当な組合活動の故になされた不当労働行為であるとして、その効力を否定するので、この点に判断を進める。

1  (基礎的事情――会社及び労働組合の概況竝びに争議の発生、推移)

会社が資本金二千三百万円を以て成り立ち被申請人主張の地に本店、支店(本町店)及び本町店統轄の営業所(新宿店、大井店、横浜店)を設け従業員六百五十名を擁して医薬品の製造、販売を営むものであること、その本町店及び管下営業所に勤務する従業員中申請人等を含む百四十名が昭和三十二年五月十二日組合を結成し申請人杉山幸太郎が執行委員長、申請人大沢悟が副執行委員長、申請人山口嘉昭が書記長、その余の申請人等が執行委員にそれぞれ就任したこと、なお組合非加入者の間に同年九月二日約六十名で組織された従組があつたこと、しかして組合が会社に対し昭和三十三年二月十七日独身者につき十割、妻帯者につき二十割の賃上げを要求して同月二十五日団体交渉を申入れ同年三月三日以降会社と屡次の団体交渉をなし同年四月五日組合大会において争議権を確立のうえ同月二十三日には二十四時間の全面ストライキを決行したこと、会社が右交渉申入当日平均月額金七百七十円の増額をみるべき定期昇給を実施し、その後の団体交渉を通じて要求拒否の態度を持し越えて同年五月一日申請人等に対し本件解雇を以て臨むと同時に組合の執行委員保科汪平、同寺本堅一、同児野博光、同輿石重智、同丸山国雄、同保坂光徳に対しても懲戒解雇の意思表示をなしたことは当事者間に争がなく、申請人杉山幸太郎本人尋問の結果により成立の真正を認める甲第一号証竝びに弁論の全趣旨によれば組合はその翌二日以降は専ら右解雇の撤回を目標にして約七十日間にわたり斗争を継続し東京都地方労働委員会の斡旋を得て会社をして右保科汪平以下六名に対する解雇の意思表示だけは撤回させたことが一応認められる。

なお当裁判所が真正に成立したものと認める乙第三十七号証、証人中松光治の証言(第一回)によれば会社の本町店はもと株式会社東京小林大薬房と称する独立の企業(昭和二十二年六月中設立)であつたが昭和二十九年五月一日会社(当時株式会社小林大薬房と称し大阪市東区に本店を有した)に吸収合併されると同時にその支店となつたものであること、会社の一般従業員に対する基準内賃金の体系は本給、年令給、勤続給、能率給、皆勤手当、役付手当、特殊手当、金銭出納手当等から構成され、その昇給に関しては本給につき毎年二月勤務考課に基き実施される定期昇給(昭和三十二年までの平均昇給額は金六百六十九円となつている。)、年令給につき毎年一月四十才以下の者に対し一律に金五十円の額を以て実施される年令昇給、勤続給につき毎年四月及び十月の二回に勤続年数六年以下の者に対し一律に金百円、同七年以上の者に対し一律に金五十円の額を以て実施される勤続昇給の制度があること、本町店及びその管下営業所勤務の従業員の場合には前記会社合併以来会社の給与基準に引直せば減給を免れない者につき従前の給与額を維持するため能率給又は一時調整金の名を藉りてその差額を支給していたこと、販売外交に従事する販売員については通常社内における準備作業のため一般の始業時刻前三十分の早出を実施していたので、これに対する時間外手当を支給する外、従前においては社外における外交勤務に対し、その性質上実働時間の正確な把握が不可能なところから一般の終業時刻以後にわたると否とを問わず一律に販売員手当の名目で月額金三百円、日当の名目で一日当金五十円ないし七十円、集金繁忙期にあたる毎月末の二日を限り夜食料の名目で一日当金百二十五円を支給していたが後記事情のため昭和三十二年十一月以降は夜食料名義の支給を廃するとともに販売員手当を月額金八百円ないし八百五十円に増額支給していたこと、又会社はその給与体系が前記のような構成のため簡明を缺き能率給の如きに至つては名実必ずしも合致しない実情にあつたので昭和三十二年七月中組合との間に販売員手当の問題が生じた際には昭和三十三年二月を目安に給与体系の全面改訂を実施すべく計画中である旨を発表したこと、しかして前記賃上げ要求当時本町店及びその管下営業所勤務の従業員(但し賄婦、臨時雇を除く)の平均年令は二十四才五箇月、平均勤続年数は三年九箇月であつて、これに対する基準内賃金の平均月額は金一万二千三百九十二円であつたこと、組合の右賃上げ要求の斗争には本店勤務の従業員が組織する本店組合及び従組とも同調しなかつたことが一応認められ右認定に牴触する甲第一号証の記載部分及び申請人杉山幸太郎本人の供述部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る疏明はない。

2  (会社の組合に対する態度)

イ  組合が結成されたのは前記のように昭和三十二年五月十二日のことであるが、前出甲第一号証、申請人大沢悟本人の供述により真正に成立したものと認める甲第二十一号証、申請人山口嘉昭本人の供述により真正に成立したものと認める甲第二十二号証竝びに右供述、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第二十三号証及び甲第二十四号証、証人上松不二夫の証言(第一回)により真正に成立したものと認める甲第二号証竝びに右証言、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第七号証、同第十二号証、同第三十四号証(但し以上いずれも後記採用しない部分を除く)によれば、これよりさき会社の一部従業員によつて同年二月中から隠密裡に進められていた組合結成の運動は同年五月上旬ようやく会社の察知するところとなり、その頃会社側には次のような行動があつたことが一応認められる。

a 会社の本町店営業部次長山本金男は秘かに同店勤務の従業員上松不二夫に組合結成の中心人物が誰であるかを尋ねた。(甲第二号証には、その日時として同月中旬なる記載があるが、前後の事情から推して同月上旬の誤りであることが明らかである。)

b 本町店経理部次長谷口正は同部勤務の女子従業員を集合させたうえ会社の労働組合としては銀行のそれのように穏健な労働組合が望ましい、皆が自主的判断で役員を選べば真に民主的な労働組合ができると思う、組合の役員には温和な者を選ぶのが宜しいと教示した。(甲第二十一号証中に、その日時として組合結成後四、五日経つた頃なる記載があるのは前後の事情に照して誤りである。)

c 本町店店長中松光治は同店勤務の従業員全員を集合させて組合結成に賛意を表明する一方、事が内密に運ばれたことにつきこれを遺憾とする旨不満の意を開陳したが、それから間もなく山本営業部次長は組合結成の準備をした者に会見を求め、これに応じた十一名の者に、めでたい結成式であるから社内でやりたいようなら、そのように取計らうがどうかと言つて組合結成大会のため会社施設の供与方を申出た。

右に認定のaに反する乙第三十四号証の記載部分、bに牴触する乙第七号証の記載部分、すなわち谷口経理部次長が組合役員には温和な者を選ぶのが宜しいとまでは言及しなかつた趣旨に解される部分、cに牴触する乙第十二号証、同第三十四号証の記載部分、すなわち山本営業部次長が会社施設の供与方まで申出たのではなく組合結成大会を社内で行うか否か組合の意向を打診したにすぎない趣旨に解される部分はいずれも採用し難く他に右認定を左右するに足る疏明はない。

次に又前出甲第一号証、同第二十一号証、同第二十三号証、証人中松光治の証言(第一回)竝びに申請人杉山幸太郎本人の供述によれば組合はその結成後直ちに東京一般に加盟したのであるが、これに関連する会社側の動静として次の事実が一応認められ、右認定を覆すに足る疏明はない。

d 本町店店長中松光治は同年七月中組合の執行委員長たる申請人杉山幸太郎に対し組合が総評系の上部団体に加入しているのは会社の対外的信用上好ましくないから全労系の上部団体に加入した方が宜いのではないかと言つて東京一般からの脱退を慫慂した。

しかして以上aないしdの事実に示された会社側の言動はこれをなした者の職制上の地位を考え併せると他に特段の事情がない限り会社の組合対策の現われと認めるのが相当であつて、これによれば会社は当時組合を会社に協調的な御しやすい性格に導こうと意図していたことが窺われる。この点に関し(i)前出乙第七号証には谷口経理部次長は前記bの話をするにあたり役職を離れ個人として話をしようと前置きした旨の、(ii)前出乙第十二号証、同第三十四号証には山本営業部次長が前記cの申出をなしたのは役職上のことと違い従業員の最古参者として好人物的節介をしただけである旨の各記載があり又(iii)証人中松光治の証言(第一回)には中松本町店店長は前記dの話をするにあたり個人同志として話したいと前置きした旨の供述があるが、右(ii)の記載はたやすく採用し得るところではないし又右(i)の記載及び(iii)の供述にあるようなことが仮に事実であつたとしても谷口経理部次長の前記bの、中松店長の前記dの各発言はいずれも、その内容が会社経営上の見地に立脚したものであることを否定し得べくもないから、その発言にあたり個人的見解たることを理つた一事だけで直ちに会社の組合対策と無関係のものとなすを得ないのである。

なお申請人等は会社が職制を組合役員に選出させるべく従業員に働きかけた旨を主張するが甲第一号証、同第二十一号証中当裁判所が採用しない、この点に関する記載部分を外にしては右主張を肯認するに足る疏明はない。

ロ  従組が結成されたのは前記のように昭和三十二年九月二日のことであるが前出甲第一号証、同第二十一ないし第二十三号証、証人柏木計人の証言(第一回)により真正に成立したものと認める甲第四号証、同第六号証竝びに右証言、証人児野博光の証言により真正に成立したものと認める甲第五号証、同第十号証竝びに右証言、証人彦根久の証言により真正に成立したものと認める甲第十一号証、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第七、八号証、申請人近藤久夫本人の供述により真正に成立したものと認める甲第二十八、二十九号証、証人中島三四郎の証言により真正に成立したものと認める乙第九号証竝びに右証言(但し後記採用しない部分を除く)、証人中松光治の証言(第二回)、申請人杉山幸太郎及び同山口嘉昭各本人の供述によれば、これよりさき次のような動きがあつたことが一応認められる。

a 会社本店の職制古山忠治は会社の横浜店に出向し同年八月中旬同店勤務の外交販売員で組合の執行委員たる申請人近藤久夫、仮家利和、村田干治及び組合員たる内田忠治が各個に勤務に当るのに同伴しその際同人等をそれぞれ喫茶店に誘つたうえ組合が総評系の上部団体に加盟していることを批難する趣旨の発言をした。

b 会社の新宿店店長中島三四郎は同月二十九日同店勤務の従業員で組合の組合員たる柏木計人、輿石重智、花岡悦三及び児野博光を逐次、個別的に同店附近の喫茶店に誘つたうえ保身上得失があることを仄かして組合からの脱退を説得し、なお柏木、輿石及び児野に対しては従組結成えの積極的協力方を依頼し(甲第四号証中柏木計人を説得した日時として昭和三十三年八月二十九日なる記載があるのは昭和三十二年八月二十九日の誤記と認める。)、翌三十日新宿店附設の寄宿寮に赴き折柄組合に対する去就を相談していた右柏木以下四名に同様の説得を重ねた。これがため右寄宿寮居住の組合員の間に動揺を生じ、その内右柏木以下四名を含む過半数が組合から脱退する趣旨を記載した巻紙に連署して、これを組合の執行委員長たる申請人杉山幸太郎に手交するに至つた。(もつとも、それは間もなく撤回された。)

c 会社の横浜店販売係主任近藤友太郎は同月二十九日同店勤務の従業員で組合の組合員たる篠崎誠二及び宮下俊和に組合からの脱退を説得した。(甲第二十八号証中には、これを強要した旨の記載があるが右記載は本文認定以上の趣旨においては採用し難い。)このことがあつた後右宮下は組合を脱退している。

d 会社の本町店販売第二部仲間主任山田進は同月下旬同店勤務の従業員で組合の組合員たる彦根久に対し組合から脱退する趣旨を記載した書面及び従組に加入する趣旨を記載した書面に署名を求めた。

e 組合の執行部は同月二十九日頃従組結成に至るべき情勢を看取し、これに対処して組合員の動揺を抑え団結の維持を図るべく直ちに組合員に対する説得活動を始めたのであるが、会社は同月三十一日本町店総務部次長関根武を通じ組合に対し組合と従組との双方に会社施設の利用を許すときはその両者間に無用の摩擦が生じる虞があるとの理由で会社施設を組合活動に使用することを禁止する旨を通告した。

f しかして右同日会社の新宿店店長中島三四郎は組合の執行委員長たる申請人杉山幸太郎、副執行委員長たる申請人大沢悟及び執行委員たる申請人和田端夫が東京一般の教文部長石井辰三とともに終業時刻後の午後七時頃同店に赴きその店内で組合員に対する説得を行おうとしたところ会社施設で組合活動をすることの非を理由として退去を求め、右申請人等がこれを聞き容れず店内の食堂で組合員と話合い続いて同店附設の寄宿寮に立入り、これに居住の組合員と話合を始め午後九時三十分頃に至つたところ施設管理の都合を理由として重ねて退去を求め右石井と出ろ、出ないと言う言葉の応酬をなした末遂に警察官に援助を求めた。

右に認定のaに反する乙第六号証、同第三十三号証の記載部分、bに牴触する乙第九号証の記載及び証人中島三四郎の供述部分、cに反する乙第三十五号証の記載部分、dに反する乙第三十二号証の記載部分はいずれも採用し難く他に右認定を動すに足る疏明はない。

なお申請人等は会社が本町、管下各営業所主任及び本店から急派した職制五名を通じて組合の組合員に対し組合からの脱退、従組えの加入を強制したと主張し、その例示として右認定のbの外、本店の職制古山忠治等が昭和三十二年八月二十八日頃本町店勤務の組合員に対し組合からの脱退、従組えの加入を運動すべく強要し、本町店総務部次長関根武が同月三十一日同店勤務の女子組合員に対し組合からの脱退、従組えの加入を説得又は強要した事実を挙げ又右認定のaにつき古山忠治の行動が組合からの脱退、従組えの加入を説得又は強要することにまで及んだように主張するが、関根総務部次長が右主張のような言動をなしたことを認めるに足る疏明はなく、甲第二十一号証中、会社の大井店で店長代理七条定之が組合員を罐詰にして組合からの脱退を強要した旨の記載、甲第二十二号証中、従組結成の動きのうちで本町店の谷口経理部次長の組合切崩が活溌であつた、本社の製剤拡張員古山忠治が本町店で組合切崩活動をした、同年九月一日従組結成大会の予定日であつたためか大阪(本社)から五名ほど本町店に来ていた旨の記載及び甲第一号証中、同年八月三十日、三十一日の両日本社の幹部社員四、五名が来京して組合切崩に積極的に動いていた旨の記載はいずれも、にわかに採用し難く又甲第一号証中、従組結成のため本町店及びその管下営業所とも店長を含めた職制の動きが活溌であつた旨の記載、甲第二十二号証中、従組結成の動きのうちで新宿店の中島店長、本町店の山田主任の組合切崩が活溌であつた、古山忠治が横浜店で組合切崩活動をした旨の記載及び甲第二十三号証中、同月三十日会社の各店で職制が中心に動いて従組に勧誘した旨の記載はいずれも右認定のaないしdの事実を超える趣旨においては、たやすく採用し難いのであつて、その他に申請人等の右主張を右aないしdにおいて認定した外に具体的事実があつたものとして肯認するに足る疏明はない。

又申請人等は会社が同年九月一日(日曜日)平常なら日曜日でも開けてある大井店の店舖を、ことさらに閉鎖し同店内の寄宿寮に赴こうとした申請人等組合幹部の立入を阻止し、本町店においても職制が出勤中であつたからには日曜日とはいえ当然開いているべき門扉を、ことさらに閉鎖して組合員の立入を防止した旨を主張する。しかしながら甲第一号証中、右同日(日曜日)午前八時三十分頃申請人杉山幸太郎外組合幹部が会社の大井店に赴いたところ平常は開いている店舖を閉ざし店内において組合員と話合をするのを拒否したので、やむなく組合員を店外に呼出して話合をした旨の記載は後顕疏明に照して少くとも、その時刻の点竝びに店舖閉鎖が会社の特段の意図に基くかのように解される点において、にわかに採用し難いのみならず、むしろ、これらの点については当裁判所が真正に成立したものと認める乙第五号証により申請人杉山幸太郎等が大井店に赴いた時刻は右同日(日曜日)午前七時頃であつて、たまたま同店附設の寄宿寮に居住する従業員の所定の起床時刻(日曜日は午前九時)以前にあつたため店舖の門扉が閉鎖されていたにすぎないものと一応認められるところであつて他には右認定を覆して申請人等のこの点の主張を認めるに足る疏明はない。又前出甲第二十一号証によれば右同日中申請人大沢悟等の組合員が会社の本町店に赴いたところ店内には同店営業部長滝尻徹その他の職制上の幹部がいて組合員を認めるや申請人等主張のように直ちに同店通用口の門扉を閉鎖して組合員の立入を妨げたことが一応認められるが、該事実はこれによつて組合員相互間の接触を不能にする等特段の事情の存在を認むべき疏明がない以上今ここで採り上げるに足りない。

それはそうとして前記aないしfの事実に示された会社側の言動はこれをなした者の職制上の地位に鑑み他に特段の事情がない限り会社の組合対策の現われとみるのが相当であつて、これによつても会社は当時組合を嫌忌し、これがため従組の結成を歓迎して陰に陽にこれを支援したことが推認されるのである。この点に関し(i)乙第六号証には前記aにつき古山忠治は当時会社の本社に勤務する従業員の組織する本店組合の組合員であつたので組合の組合員と共通の意識のもとに話をしたにすぎない旨の記載があり又乙第九号証及び証人中島三四郎の証言には前記bにつき中島新宿店店長は平素も同店の従業員と膝を交えて立入つた個人的問題の相談にも与るので、これに倣つて個人的見解を開陳しただけで他意はなかつた旨の記載又は供述があり(ii)前記eに認定の会社の組合に対する会社施設使用禁止の措置が組合と従組との間に会社施設の利用に関し無用の摩擦を生じることを理由としたものであること、前記fに認定の会社の申請人杉山幸太郎等に対する会社施設からの退去要求が会社施設の管理上必要があることを理由としたものであることは併せて認定したとおりであるが、右(i)の記載もしくは供述はたやすく採用し得るところではないし、右(ii)の事実が動かし難いとはいつても弁論の全趣旨によれば会社は従来特に支障がない限り組合に会社施設の利用を禁じた例がないことが一応認められるところであるから、当時組合が従組結成の情勢に対応し団結の維持に腐心していた最中において、いまだ従組の結成をみないに拘らず前記eにおいて認定のように会社側が組合に会社施設の使用を全面的に禁止するにあたり組合と従組との関係を理由とし又前記fにおいて認定のように会社側が申請人杉山幸太郎等に会社施設からの退去を要求するにあたり施設管理上の必要を理由としたことはいずれも、いまひとつ首肯し難いものがあるのであつて、前記認定のaないしdの一連の事実に徴すれば、むしろ組合の活動えの対抗策が隠れた真の理由であつたことを否定し得べくもない。もつとも証人中松光治の証言(第二回)には会社としては従組に対しても組合同様会社施設の使用を全面的に禁止し両者を平等に取扱う心算であつた旨の供述があるが仮に事実そうであつたとしても従組結成前においては施設使用禁止により組合活動に制約を受けるのは、ひとり組合に限られるから、右の一事は前記認定の妨げとなるものではない。なお乙第九号証及び証人中島三四郎の証言には申請人杉山等が店内にいたのでは折柄行われていた集金整理の業務に支障が生じる虞があつた旨の記載又は供述があるけれども、該記載及び供述はにわかに採用し難い。

ハ  前出甲第二号証竝びに証人上松不二夫の証言(第一回)、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第十二号証によれば、従組が結成された後においても会社側には次のような言動があつたことが一応認められる。

a 会社の本町店販売第二部仲間主任山田進は同年九月上旬同店勤務の従業員で組合の組合員たる上松不二夫に対し損得を考えて従組に加入した方が宜いと言つて従組加入を説得した。

b 会社本店の職制古山忠治は当時会社の本町店に出向していたが同月初旬頃同店勤務の従業員で組合の組合員たる松田伸二に対し本店組合は年配の主任級が幹部となつているので会社との交渉も円滑に行われるが組合は弱年の者が幹部となつているので会社との交渉も円滑に行われていない、従組に加入すれば責任を以て将来を保証するから多数の組合員を誘つて従組に加入した方が宜いと言つて組合から脱退する趣旨を記載した書面及び従組に加入する趣旨を記載した書面の作成を求めた。

右に認定のaに牴触する乙第三十二号証の記載は採用し難く他に右認定のa、bを動すに足る疏明はない。

なお、この点の申請人等の主張に関連し甲第三号証には会社の本町店に勤務する組合員鴫原ナナ子は同年十二月頃山田主任から組合からの脱退を強要された旨の記載があるが該記載はたやすく採用し難い。又当裁判所が真正に成立したものと認める甲第十三号証によれば会社の地方出張員天野英考は同年十月三十日頃会社の新宿店に勤務する組合員松下道子に対し従組えの加入を誘引したことが一応認められるが、右天野がどのような立場にあつたものか明らかでないから同人の言動を以てにわかに会社の組合に対する態度と関係があるものとして採り上げ得ないのである。

しかし右a及びbの事実に示された会社側の言動はこれをなした者の職制上の地位に照しても他に特段の事情がない限り会社の意向に沿つたものと認めるのが相当であり、これによれば会社は従組の結成後も組合嫌忌の意識を捨て去らなかつたことが推認される。

もつとも申請人等は会社が組合の情報宣伝活動を抑圧するため本町店の寄宿寮の部屋割を変更しようとした外、販売員手当の増額支給竝びに組合の執行委員花輪令子に対する暴行事件の取扱につき組合の組合員たると否とによつて差別を設けた旨を主張するが、次のような顛末で申請人等の主張は必ずしも事実に合致しない。すなわち前出甲第一号証、同第二十二号証竝びに弁論の全趣旨によれば会社は東京都台東区入谷町及び千代田区神田佐久間町に寄宿寮を設け、本町店勤務の従業員を寄宿させていたところ同年七月頃右二箇所の寄宿寮につき寄宿者の一部入替を計画したが組合員の抗議を受けたため右計画を中止したことが一応認められるが、右甲号各証中、右計画が組合の活動家だけを一箇の寄宿寮に集めて隔離しようとしたものである旨の記載はにわかに採用し難く、他にこの点の申請人等の主張を肯認するに足る疏明はなく、むしろ証人中松光治の証言(第二回)によれば会社は右二箇所の寄宿寮に居住する従業員の内、販売外交員が勤務の性質上区々の時刻に帰寮する等他の勤務に服する者との間に生活の差があるので、これによる寮生活の不都合を解消するため組合の組合員たると否とによつて区別しないで販売外交員だけを右佐久間町所在の寄宿寮に入居させようと計画したにすぎないことが一応認められるのである。次に組合が販売員手当に関し同年十月十六日会社を相手方として東京都地方労働委員会に斡旋の申請をなしたが、会社がこれに応じなかつたこと、会社がその後従組との間において販売員手当の増額の協定を結び同年十二月二十五日の給料支払日には従組加入の販売員に対してだけ増額された販売員手当を支給し組合加入の販売員に対しては増額分の販売員手当を支給しなかつたことは当事者間に争がなく前出甲第一号証竝びにその記載の趣旨から組合が会社に差出した文書の控であることが一応認められる甲第三十号証によれば組合は同月十九日会社に対し会社提示の販売員手当増額案を受諾するからその趣旨の協定書を作成交換すべく、なお同月の給料支払日に増額分の手当が支給されるよう手配されたい旨の申入をなしていたことが一応認められるが、甲第一号証、同第二十一ないし第二十三号証中会社は組合から申入れた販売員手当の要求に対し誠意ある態度を示さず前記労働委員会の斡旋をも理由なく拒否しながら従組との間においては販売員手当の増額に関し協定の締結竝びにこれが実施に事を急ぎ組合を全く疎外する取扱をした旨の記載はにわかに採用し難く、その他会社が販売員手当の増額の問題に関し申請人等主張のように組合と従組とを差別待遇したものと認むべき疏明はなく、証人中松光治の証言(第一回)によれば、むしろ会社は従前販売員に対し前記1のように早出勤務については超過勤務手当を支給する外、終業時刻以後の勤務については実働時間の正確な把握が不可能なため販売員手当、日当及び夜食料の名目で一律に手当を支給していたところ組合から終業時刻以後の勤務に見合つた手当の支給がないのは労働基準法違反であるとの申入を受け次で右問題につき前記労働委員会の斡旋を受けることとなつたが、組合の申入が誤つた見解に基くことに確信があつたので組合にはその旨を回答するとともに右労働委員会の斡旋に応じなかつたものであること、ところが同年十一月二十日従組から販売員手当増額の要求を受けるに至つたので紛争の早急解決を至当とし前記1のような現行制度と同一内容を盛つた増額案を組合及び従組に提示し同月二十五日までに回答すべく申入れ、これを受諾した従組との間において販売員手当増額の協定を結び直ちにこれを実施に移したものであること、しかるに組合はこれに反し同年十二月十九日に至つて、ようやく会社の右提案を受諾したので会社は同月中組合との間においても右と同様の協定を結び同年十一月に遡つてこれを実施したものであつて、その間の経緯には、ことさら従組と組合とを差別して取扱つたものとみられる節はないことが一応認められるのである。次に又会社の従業員安藤晴男が組合の組合員たる花輪令子を平手で殴打した事件及び会社の従業員守屋利子が新宿店店長中島三四郎の面前で右花輪令子を平手で殴打した事件が発生したことは当事者間に争がなく弁論の全趣旨によれば会社は右暴行事件の加害者たる安藤晴男及び守屋利子を就業規則に照して処分しなかつたこと、なお右両名は従組の組合員であつたことが一応認められるけれども、証人柏木計人の証言(第一回)により真正に成立したものと認める甲第十四号証、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第十三号証、前出乙第九号証、証人中島三四郎の証言によれば、安藤晴男の暴行事件に関する事情は、あらまし次のとおりであつたこと、すなわち新宿店の倉庫係をしていた右安藤は昭和三十二年十二月二十日勤務中記帳係の花輪令子から出荷伝票が差出されたのを気付かなかつたところ同人が「注文客が待つているのに、どうして出荷してくれないのか」と言つて激しく詰問し自ら出荷を了した挙句、同様の非難を繰返したので憤慨の余り同人の左頬を平手で一回殴打した、ところが昭和三十三年一月二十七日に至り同店勤務の柏木計人等数名の組合の組合員から謝罪を要求されたので翌二十八日あらためて花輪に陳謝したものであること、又守屋利子の暴行事件に関する事情はあらまし次のとおりであつたこと、すなわち同店において事務係の責任者であつた右守屋はかねて花輪令子と意思の疏通を缺き相反目していたところ同月二十六日同店店長中島三四郎の仲裁により右花輪と対談することとなり二、三言葉を交すうち、にわかに昂奮して同人の片頬を平手で一回殴打して、その場を立去つた、そこで中島店長は直ちに守屋を呼んで叱責する一方同人に代つて花輪に陳謝した、ところが同日中同店に勤務する組合の組合員数名が守屋を取囲んで詰責するという事態となつたので中島店長はその組合員等に女子に対する不当な取扱であるとして注意した、しかしてその一両日後組合の執行部が右暴行事件を重視し中島店長に事情の説明を求めたので同店長は従業員間の出来事をもとに紛争が生じるようでは、かえつて職場に良い影響がないとして組合の介入を拒否したものであることが一応認められるから、いずれの暴行事件も同僚間の単純な喧嘩にすぎないものと認めて妨げがあるわけがなく従つて他に特段の事情がない限り会社がその加害者に懲戒処分を以つて臨まなかつたからとて、なんら怪しむに足りず同時に又右事件に対処した中島店長の態度にも異とするに足るものはない。もとより加害者が従組の組合員であり、被害者が組合の組合員であつたことにより差別待遇がなされたものとは、とうてい認め難いのである。甲第十四号証には中島店長は守屋が花輪を殴打した際その場に居合せて事前に判つていながら、これを制止しようとしなかつたものであるから、むしろ守屋をして殴打させたものと解する外ない旨の記載があるが右記載は採用するに値しない。又右甲号証竝びに甲第一号証、同第二十一号証及び同第二十三号証中会社もしくは中島店長の右暴行事件に対する態度が不誠意であつて差別待遇の意図の現われである趣旨に解される記載はなんら根拠のない見方にすぎない。

ニ  前記判示によれば組合が賃上げ要求に関しその大会において争議権を確立したのは昭和三十三年四月五日のことであり会社が申請人等に対し本件解雇の意思表示をなしたのは同年五月一日のことであるが、その期間において会社側の態度を示す出来事をみると会社が同年四月十二日以後組合の動きに関する見解を表明する宣伝ビラを配布したことは被申請人の認めて争わないところであり前出甲第一号証、同第二十一、二十二号証、申請人山口嘉昭本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十三号証、成立に争のない甲第四十二号証の一、二によれば右ビラは組合の組合員に対し一日二、三回宛連日にわたり配布され又組合員の家庭にも郵送されたが、その内組合員に配布されたものには例えば「労組員の大部分はスト回避を切望している」、「組合の在り方について考うべき時が来た」、「独走する組合幹部」、「労組は副委員長によつて動かされているのか」、「借入れスト資金の返済を考えましよう」、「ストに入つた時の現実を想像してみましたか」、「労組員は真実を知ろうとしている」等という見出のもとに、組合の賃上げ要求は会社の経理内容を理解しない不当なものであること、会社はストライキによつて倒産する虞があるから企業閉鎖をせざるを得ないことを訴え又上部団体が誤つた争議指導を行つていること、組合幹部がこれに盲従し組合員を詐つて独走しようとし、その日常活動、争議行為及び団体交渉の方法にも違法に近いものがあることを非難し更には組合員自身が組合幹部を批判し行きがかりを捨てて会社に協力すべく呼びかける趣旨が記載され又家庭に送付されたものには例えば会社は従業員に対し経理内容の許す限り良心的昇給を実施し、その給与水準も業界一般のそれを上廻つてこそいるが決して低賃金ではないこと、しかるに組合は会社の説得にも拘らず総評系の上部団体の指導に盲従し不当な賃上げ要求のため違法な活動を行つていること、これに対し従組の組合員及び本社の従業員は組合の行動を批判し自発的に会社に協力すべく申出ていることを報告する趣旨が記載されていたことが一応認められる。しかして右事実によれば会社がなしたビラの播布は、たとえそれが言論の自由の範囲に属し争議対策としても許される事柄であり又証人中松光治の証言(第二回)にあるように会社が組合の宣伝活動に対抗して争議に関する事実の真相を明らかにすることに主眼があつたものであつて害悪の暗示を伴う等特段の事情がないが故に不当労働行為を構成することがないにしても、本来組合の内部において自主的に決定さるべき事項につき、なくもがなの干渉を加えたものであることは否定し難く、上来説示した会社の従前の態度を考え併せると組合嫌悪の意識に発した言動たるの感を拭い得ない。

なお申請人等は右期間に会社があらゆる手段を連続的に用いて組合の壊滅を図つたとし、その例示として(i)右同日以後組合の上部団体との団体交渉を理由なく拒否するとともに組合に対し上部団体を団体交渉に参加させないように要求し、(ii)同月二十二日本店から二十名位の従業員をスキヤツプ要員として本町店に動員するとともに、これを組合加入の販売員に一名宛着きまとわせて組合の切崩と組合の団体行動の妨害に充て同年五月一日にはその要員を四十五名位に増加し、(iii)同年四月二十四日横浜店に会計係として勤務し会計業務全般を処理していた組合員の望月芳子から同人が同月二十三日の二十四時間ストライキに参加したことを理由に金銭出納事務を剥奪した旨を主張する。しかしながら右(i)の主張については甲第二十一号証中に前記賃上げ要求の最終交渉のときも外部の人が入るなら交渉できないなどということがあつた旨の記載があるが右記載はにわかに採用し難く他に右主張を肯認するに足る疏明はない。右(ii)の主張については会社が当時本店から従業員を本町店に派遣したことは被申請人の認めて争わないところであり前出甲第二十二号証、申請人杉山幸太郎本人尋問の結果竝びにこれにより真正に成立したものと認める甲第五十一号証の二、申請人山口嘉昭本人尋問の結果によれば会社は当初二十名位を派遣し、その後五十名位に増員したものであること、なおその内若干が本町店竝びにその管下各営業所において各個に外交勤務に出歩く組合加入の販売員に同伴したりしたことが一応認められはするが、甲第二十九号証、同第三十一号証、同第五十一号証の二中、右派遣員が組合の切崩に当つたとか、組合のストライキを妨害するために派遣されたものであるとかいう趣旨の記載はにわかに採用し難く他に右派遣員が申請人等主張のような用向に充てられたことを認むべき疏明はないのみならず、証人中松光治の証言(第二回)によれば、むしろ会社は当時既に組合が争議権を確立し何時でもストライキに突入し得る態勢にあつたところから組合加入の販売員が月末の集金時にストライキに参加した場合集金不能によつて業務に直接、間接の打撃が生じることを慮り、主としてその代替要員とするため本店の従業員を派遣し又その場合の代置操業に支障なからしめるため組合加入の販売員に同伴、得意先を熟知させたものであることが一応認められるのである。しかして労働組合がストライキを決行中であつても使用者がストライキに参加しない非組合員を適当な職場に配置して操業を継続することは特段の事情がない限り当然使用者の自由になし得ることとして許されるところであつて労働組合のストライキに対する不当な妨害であるとは目し難いから会社の右行為を非難するのは当らない。次に右(iii)の主張については甲第一号証、同第二十一号証には右主張に符合する記載があるが、右記載は後顕疏明に照し事実の真相に合致しない部分を含むから、たやすく採用し得るところではなく、むしろ当裁判所が真正に成立したものと認める乙第四号証証人近藤友太郎の証言によれば横浜店の経理部に記帳係竝びに専任の会計係として勤務していた組合員の望月芳子は同月二十三日の二十四時間ストライキに参加したが(この点は当事者間に争がない。)、同店販売係主任近藤友太郎は翌二十四日右望月に対し会社と組合との間に争議状態が継続する期間中に限り同人管掌の会計事務を本店従業員河田某に担当させるが、とりあえず横浜店主任代理永田彰に引継ぐべき旨を命じたものであること、これを推せば会社が右望月担任の会計事務を他の担当に移管したのは組合が行うことあるべきストライキに対処し金銭出納等に万全を期した業務上の措置であつて望月が組合員なるが故に不利益を課したものでないことが一応認められ、使用者が業務上利害損失を考慮して労働者の担当作業を左右するのは特段の事情がない限り当然使用者に許されるところであるから会社が望月芳子の担当事務に関して講じた措置を、とやかくいう余地はない。

ホ  これを要するに申請人等が本件解雇に至るまでの会社の組合に対する一般的態度を以て組合嫌悪に終始したものと主張し、その具体的現われとして例示したところは、これをすべて肯認するまでには至り得ず一部の排斥を免れなかつたにしても、上来肯認すべく説示した一部の事実からしても会社が右解雇の意思表示をなした当時組合ないし、その幹部に対し差別待遇の意思を有したことは推認するに難くない。もつとも、これが右解雇の意思表示の支配的原因もしくは動機となつたものであるか否かは更に右解雇の理由とされた事実の存否竝びにその合理性の有無の判断を俟たなければならない。

3  (本件解雇の事由)

ところで会社の申請人等に対する本件解雇の意思表示が被申請人主張の事由(本判決事実摘示第三の三、2のイないしハ及び3ないし5の事実)に対する懲戒処分としてなされたものであることは前記のとおりであるが、左に右懲戒事由の存否竝びにこれによる解雇の合理性の有無について考えてみる。

イ  (懲戒事由その一―昭和三十三年四月二十二、三日の事件)

会社と組合とが組合の前記賃上げ要求に関し同月二十二日午後八時から会社の本町店二階事務室において団体交渉を行い翌二十三日早朝に及んだことは当事者間に争がないところ、(i)当裁判所が真正に成立したものと認める乙第二号証、同第四十二ないし四十四号証、証人滝尻徹の証言により真正に成立したものと認める乙第三号証、同証言により同証人が右同日団体交渉終了後右同所において拾つたものと一応認められる乙第十七号証(メモ書きのある紙片)竝びに右証言及び(ii)申請人杉山幸太郎本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十一号証、申請人中村郁雄本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十二号証、前出甲第三十三号証、申請人近藤久夫本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十四号証、申請人大沢悟本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十五号証、証人彦根久の証言により真正に成立したものと認める甲第三十六号証の一、二(但し右(ii)に掲げた甲号各証の記載中後記採用しない部分を除く)を綜合すれば右団体交渉は次のような経過を辿つたことが一応認められる。

a 右団体交渉は組合の前記賃上げ要求に関し、これよりさき同年三月三日から同年四月十二日までの間に行われた前後六回の団体交渉の後を承け組合の同月十九日付申入によつて行われた第七回目のものであるが、従前の団体交渉において会社は同年二月二十五日定期昇給を実施した以上会社の経理内容としては組合要求の賃上げを許さない実情にあるとし、これを数字的に説明し終始組合の要求を全面的に拒否する態度を持し、これに対し組合は会社の説明を反駁するに足る資料の持合せがないところから、たゞ漫然と会社が掲げる数字に不信を唱え賃上げが可能であることを強弁して会社の態度を非難するに止つた。これがため、その後に第七回目として行われた同年四月二十二日の団体交渉においては右同様の推移が避けられない限り交渉妥結を望み難いことが予想された。組合の執行部はむしろ、その決裂を想定し翌二十三日には二十四時間の全面ストライキを決行すべく決定して右団体交渉に臨み、これと平行してストライキの準備を進めた。

b しかして右団体交渉はその人員を規制するため会社から申入れたところにより事前に交渉員の名簿を交換(但し組合から会社に交付した名簿には組合員についてはその氏名の記載があつたが、外部団体所属員については本部役員、中央区労協役員とだけ記載されていた。)のうえ会社側からその本町店営業部長滝尻徹、同次長山本金男、総務部長中村正一、同次長阿部小太郎、経理部次長谷口正の五名が、組合側からその執行委員長たる申請人杉山幸太郎、副執行委員長たる申請人大沢悟、書記長たる申請人山口嘉昭、執行委員たる申請人遠藤久夫、申請外保科汪平(教育宣伝部長)、同保坂光徳、同丸山国雄及び書記彦根久竝びに東京一般(上部団体)争議対策部長大沢栄一及び支援団体たるシチズン労働組合書記長某の十名がそれぞれ出席し予定時刻を約一時間三十分遅れて開催された。そこで滝尻営業部長は申請人杉山から回答を促され従前の回答を繰返し、これに対する反駁資料はむしろ組合自ら提示すべきものであるとして組合側が要求した賃金台帳その他の計算書類の提示を拒み反問して外部団体所属員の交渉資格を訊したが、組合側は上部団体が団体交渉に参加するのは当然のことで、なんら異とするに足りないとして、この点の追究を許さず主として滝尻営業部長との間において給与内容の適否等に関し応酬を重ね会社が前記のように販売員手当に関する係争を処理するにあたつて発表した給与体系の全面的改訂の計画が遅延している以上当然賃上げを実施して組合の要求に答うべきであると極論して会社の態度を激しく非難した。かくして団体交渉は険悪な様相を呈したが、同日午後九時二十分頃滝尻営業部長の発議により休憩に入つた。

c 次で右団体交渉は同日午後十時五十五分頃再開されたが、組合側は会社が争議対策として宣伝ビラを作成するためには余計な失費も惜しまないのに賃上げの財源がないというのは解し難いとか、組合の賃上げ要求中これを無視して定期昇給を実施し、しかもこれを右要求拒否の理由とするのは不当であると強弁して会社を攻撃した。そのうち組合側においては外部団体所属員四、五名竝びに申請人和田端夫及び同中村郁雄を含む組合員十二、三名が会社の諒解もないのに次々と入室し会社側と向き合つた組合側交渉員の背後に寄り集り滝尻営業部長から退室を求められても、これに応じないばかりか口々に罵声を以て酬い、申請人和田のごときは宿直勤務の拘束時間中にあることを滝尻営業部長から指摘されながら、かえつて反抗的態度を示して退室を肯んじなかつた。かような状況下に組合側は彼此会社側の非を挙げつらい執拗に賃上げを迫り会社側の返答ごとに罵声を浴せ険悪な空気が漲つたので滝尻営業部長は翌二十三日午前一時二十分頃に至り平静な交渉が不可能であるとして休憩を求め組合側もこれに応じた。

d 次で右団体交渉は会社側の申入により同日午前三時五十五分頃再開されたが、組合側は正式交渉員に外部団体所属員及び組合員を併せ約四十名を以て交渉に臨み会社側になおも執拗に賃上げの実施を迫り会社側がよういに応じないところから「ばかやろう」、「ばかたれ」、「尻さん(滝尻の意)、尻さん、とぼけた顔するな、それでも重役か、ばか部長」、「本社から社長(当時病臥中)を連れて来い、首に繩をつけて引ぱつて来い」等と罵詈雑言を放ち、滝尻営業部長から組合側交渉員以外の者の退室を求めても、かえつて騒ぎ立てる始末であつた。これがため同部長は同日午前四時二十分頃組合側が人員を規制するまで交渉を一時中止する旨を告げ他の会社側交渉員とともに退室しようとして席を立ち阿部総務部次長を先頭にして中村同部長、滝口営業部長、谷口経理部次長の順に踵を接し(乙第二号証及び同第四十三号証中、山本営業部次長が谷口経理部次長の後に続いた旨の記載は採用しない。むしろ証人滝尻徹の証言(昭和三十三年十一月二十一日の口頭弁論期日におけるもの)によれば山本営業部長は午前三時五十五分以後の交渉には参加しなかつたことが一応認められるのである。)机の間隙を通つて出入口に向わんとした。ところが組合の執行委員保坂光徳はすかさず阿部総務部次長に体当りを加えて、その歩行を阻止し組合の執行委員たる申請人大沢悟、同山口嘉昭、同和田端夫及び申請外保科汪平もこれに呼応し右保坂の背後において人垣を造る形で立塞り又他の組合員等もその背後に詰め掛けて助勢した、これと前後して組合の執行委員長たる申請人杉山幸太郎は折柄階下及び地下室に待機中の組合員等に「動員」と呼び掛け、これに応じて駈け上つて来た組合員等を裏手及び横手の各出入口の内外に配置した。かようにして退室を妨害された滝尻営業部長等会社側交渉員はなおも「退け」、「通せ」と言つて退室を試みたが、その不可能を知り、やむなく席に復した。そうした頃組合員等は机、椅子等を交渉員席に近い横手出入口に接着させて、その扉の開閉を不自由にしたが、申請人和田端夫は更に裏手出入口から横手入口の外側に廻り、その扉の把手と隣接する別室の扉の把手とを紐様の物で縛り合せ室内からの扉の開閉を不可能にしたうえ室内に立戻つて横手出入口附近の机、椅子を、もとの場所に片付けた。そこで滝尻営業部長はその状態を不当な監禁であるとして申請人杉山幸太郎を詰責したが、かえつて組合側は会社側が退出せんとしたことを非難し組合側の行動を以て当然のことのように強弁し引続いて彼此会社側の態度を詰り同日午前七時三十分頃に至るや紛争の解決をみないのはすべて会社側の責任であると言い残して全員退室し団体交渉を打切つた。しかしてその間においても組合側は多衆を[小奇]んで会社側に罵声を浴せ不穏な様相を示した。もつとも同日午前五時過頃会社本店の総務部長から電話連絡に接した滝尻営業部長が交渉の異常な状況を暗示したので、それと察した東京一般の大沢争議対策部長の指図により申請人和田端夫は横手出入口の扉に施した紐様の物を取除き一部の組合員は室外に退去し室内に残つた組合員等も居ずまいを改め同日午前六時四十分頃警察官が検分に臨むまでは一時平静に帰したが、警察官が間もなく立去ると再び喧騒にわたつた。

e しかして組合は同日午前七時四十分頃会社に通告のうえ同日午前八時から二十四時間のストライキに突入した。

以上がその認定であつて甲第三十一ないし第三十五号証、同第三十六号証の一、二、同第三十七号証及び同第三十九号証の各記載竝びに申請人杉山幸太郎、同山口嘉昭及び同中村郁雄各本人尋問の結果中右認定に牴触する部分はたやすく採用し得るところではなく他に右認定を左右するに足る疏明はない。

しかして右認定の事実について考えると組合側において、その交渉員以外に多数の組合員及び外部団体所属員が擅に団体交渉に列し会社側交渉員の要求があるに拘らず、これに応じて退席するどころか、かえつて組合側交渉員の攻撃に和して終始罵声を放ち、やむなく交渉を中止して退席せんとする会社側交渉員の退路を阻み以後同様の状況下に交渉の継続を強要した一連の行動は経済上の要求を徹さんがため、その相手方に多衆の威力を示し強談威迫をなしたものというべきであつて団体交渉の在り方として著しく穏当を缺き、もとより正当な組合活動の範囲を逸脱したものという外はない。もつとも会社側交渉員がその間において、いよいよ最後に交渉の中止を告げ退席せんとするのを阻止されるよりさき組合側の諒承のもとに一旦休憩をとり自ら申出て交渉を再開したことは前記認定のとおりであるが、会社側交渉員が組合側のその前後における行動を容認したものではないことも前記認定の事実から明らかであるから交渉の休憩及び再開に関する経緯の一事のごときは組合側の右行動に対する評価に消長を及ぼすものではない。申請人等は団体交渉が徹宵に及んだのは会社側が組合側においてストライキを回避するため円満解決を期して団体交渉に臨み大幅譲歩の意向を表明したのに頭から組合の要求を拒否するだけで経理上の根拠等につき全く沈默を守り結局組合を納得させるに足る回答を示さなかつたことに起因する旨を主張し、前記認定したところによつてみても会社側は右団体交渉において従前のように組合の要求を全面的に拒否する不変の態度で臨み経理上の数字的根拠を説明することはあつても、これに対する反駁資料はむしろ組合側自ら提示すべきであるとして組合側の要求した計算書類の提示を拒否したのであるから、その態度には少しも妥協の色がみられないと同時に些か不親切の譏を免れず組合側の反撥を買う素因をなすものであつたことを否定し得べくもないとすれば申請人等の右主張を敷衍して、あるいは組合側の前記行動(申請人等はその存在まで争つているのであるが)を是認する見解を立つる向もあるやに思われるけれども、組合側が右団体交渉に、いかなる方針で臨んだかは暫く措くとして申請人等主張のように団体交渉中大幅譲歩の意向を表明したことを肯認するに足る疏明はないのみならず、むしろ組合側は前記認定にも窺われるように会社側の牢固たる態度に対抗するのに賃上げが経営上成立し得る合理的根拠を積極的に指摘する等適切な方策を以て応じることもなく、いたずらに会社の過去における行為を非難するに止まつたのであつてみれば他に特段の事情がない限り団体交渉が紛争解決の方向に進捗しなかつたのも自然の成行というべきであつて、あながち会社側だけの責に帰すべきいわれはない。まして使用者と労働者との経済斗争においても相手方の態度如何によつては、これに対する斗争手段が通常考えられるべき正当性の限界を超えることを許してしかるべきであるという法理を見出し難いから会社側の前示態度を以て組合側の行動の当否を下すべき筋合はないのである。

しかるに申請人大沢悟本人尋問の結果竝びに真正に成立したものと認める甲第三十九号証によれば組合は右団体交渉を申入れるよりさき、その執行部を以て構成する斗争委員会において同月十八日団体交渉決裂の場合直ちに二十四時間ストライキを実施すべく決議し併せて団体交渉の方針を決定していたものであることが一応認められるところ前記認定のような交渉経過に加え組合側交渉員として団体交渉に列した組合三役以下執行委員が会社側から要求があるに拘らず非交渉員に対する措置を講じた形跡を疏明上見出し難いことから推せば他に特段の事情がない限り組合の斗争委員会は賃上げ要求に関する斗争手段として団体交渉において多衆の勢威を以て会社側交渉員に心理的圧迫を加え、これにより、でき得れば交渉を有利に展開し、さもなくも予定のストライキ突入に対する足場を固めるという方針を策定し右団体交渉における現実の行動を導いたものと認めるのが相当であつて甲第三十九号証中団体交渉の方針に関する組合の斗争委員会の決定内容につき右認定と相容れない趣旨の記載部分はたやすく採用し難く他に右認定を覆すに足る疏明はない。なお、この点に附随して甲第三十一ないし第三十五号証、同第三十六号証の一及び同第三十七号証の各記載竝びに証人柏木計人(第一回)及び同彦根久の各証言中右団体交渉が会社側の特別の意図に基く挑発的言動によつて誘発された偶然的なものであるという趣旨に帰着する記載ないし供述部分は当裁判所の採用し得るところではない。しかして申請人等は前記認定のように当時組合の三役もしくは執行委員であつた以上右賃上げ斗争に関し斗争委員会を構成したものと推認されるから特に反対の事情がない限り前記認定のような斗争方針の策定に関与したものと認めるのが相当であるのみならず、前記認定の事実からすれば、その全員が右団体交渉における組合側の行動に参加したことが明らかである。してみると申請人等はいずれも右強談威迫の非違につき責任あるを免れない。

ロ  (懲戒事由その二―昭和三十三年四月二十八、九日の事件)

証人近藤友太郎の証言により原本の存在及びその真正に成立したものと認める乙第十四、十五号証、同第二十三号証竝びに右証言、証人日比野二郎の証言により真正に成立したものと認める乙第二十二号証、同第二十四号証竝びに右証言、証人古山忠治の証言により真正に成立したものと認める乙第二十七号証竝びに右証言、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第十九号証、同第二十一号証、同第二十六号証、同第四十、四十一号証によれば会社の本町店営業部長滝尻徹は同月二十七日組合との間に賃上げ要求に関する争議状態があるところから組合が集金業務につきストライキを実施することを慮り組合加入の販売員には月末の集金業務を行わせない旨の業務命令を発したが、会社の横浜店販売係主任近藤友太郎は同店における集金業務の円滑を期し翌二十八日午前中滝尻営業部長の諒解を得たうえ同店勤務の組合員を代表した組合の執行委員たる申請人近藤久夫との間において同店に限り組合加入の販売員にも集金業務を行わせる。但し当該販売員は同日以降の三日間はストライキに参加せず集金に従事する旨の協定を結び直ちにこれを実施したこと、しかして右協定締結直後近藤主任はこれを理由として申請人近藤に同店店頭に掲揚された組合旗の取外しを要求し同申請人から賃上げ斗争継続中を理由に拒絶されたこと、なお、その頃会社の本店から横浜店に派遣中の非組合員日比野二郎も組合員福田某に右組合旗の掲揚は右協定の趣旨に沿わないとして、これが取外しを求めたが、その組合旗は間もなく何人かによつて取外されたこと、ところが右集金業務の実施及び組合旗の取外しを繞つて同日夕刻から翌二十九日早朝にかけ同店店内において次のような事態が生じたことが一応認められる。

組合の執行委員長たる申請人杉山幸太郎、執行委員たる申請人中村郁雄及び同和田端夫は東京一般所属の石井某とともに同月二十八日午後七時頃横浜店に到り、その一階事務室において同店販売係主任近藤友太郎が所用で外出せんとするのを引止めて面談を強要し、申請人杉山において「話があるから来たんだ、五時過ぎれば主任でも何でもないんだ、人間として平等の身分だ」と申向けながら同主任を事務室の奥に押し戻し、なお同店主任代理永田彰を右石井において「話があるから、そこに坐れ」と申向けて威迫し、近藤主任及び永田主任代理がやむなく事務机の側に隣合つて着席するや同店勤務の組合員約二十名を呼入れ、これに合して近藤、永田の両名を取囲み多衆の勢威を示しながら主として申請人中村の発言により前記のように組合員望月芳子担当の会計事務を他に移管した措置(前記二の2、ニ末尾の事実)を不当な差別待遇であるとし次で前記のように本町店営業部長の組合員に対する集金中止の業務命令があるに拘らず横浜店に限り組合員を集金業務に就けた措置を不当な組合対策であるとして難詰した。これに対し近藤主任は望月芳子の担当事務に関する措置についてはこれが前記のように会社の業務運営上の必要に基くものであつたこと又横浜店に限つた集金業務に関する措置については、これが前記のように同店勤務の組合員を代表した組合執行委員との間に協定を結んで実施されたものであることの各経緯を説明して諒解を求めたので事態は一旦収まつたかにみえた。ところが、その間に組合の執行委員たる申請人近藤久夫、申請外保科汪平(以上、同店勤務)、同保坂光徳及び同寺本竪一も組合側に合流していて、その中の申請人近藤が同日午後八時頃前記のように組合旗取外しの事実を捉えて、にわかに「旗がない、誰が盗んだのだ」と喚き立て他の組合員もこれに呼応して騒ぎ出した。しかして、やがて申請人近藤の電話連絡によつて組合旗の借用先たる神奈川地方労働組合評議会(以下、神奈川地評という)所属の赤崎某外一名が同店に駈け付け申請人杉山以下組合員が取囲んだ座中において近藤主任に建物管理責任者として責任があるとして怒声を挙げて問責し同主任が口頭で遺憾の意を表したのに、それだけでは済ませないとして文書による謝罪を激しく要求した。これがため近藤主任は右要求に応じる外はないと観念してその旨を申出るとともに本町店の滝尻営業部長に電話連絡をしたところ同部長から事柄が会社と組合との正式交渉に掛くべき問題であると指摘されたので右申出を撤回するに至つた。すると右赤崎某はこれに憤慨し「労働者を虐めると、どういうことになるか、お前等知つているか、今日は丁度メーデーの前夜祭で労働者が集つているんだ、電話一本で何万人でも動員できるんだ」等と喚き散らして外部に電話連絡したとみる間にハイヤータクシー労働組合連合会(以下、ハイタク労連という)の書記長永田某以下ハイタク労連傘下の組合員約二十名が右事務室に乱入し近藤主任及び永田主任代理に度を重ねて足蹴り、小突く等の暴行を加え口口に「てめえ詑状が書けないのか、それでも責任者か」と罵つた。そのうち非組合員の前記日比野二郎等が店内を捜した結果、問題の組合旗が右事務室の二階にあたる寄宿寮の一室(組合の執行委員保科汪平、組合員矢古宇某及び米倉某の居室)の押入内から発見されたので右日比野が「盗んだ盗んだと言われるが、ありますよ、えらい済んませんな」といつて組合旗を差出したところ申請人杉山以下の組合員は「盗んでおきながら済みませんでは済まない」、「盗んだのはお前だろう」等と喚きながら店内に残つていた非組合員の一人一人に詰め寄つた後「君達は会社の犬だから用はない」と罵つて、その全員十七名(横浜店勤務の従業員井上みつよ外二名及び本店等から横浜店に派遣中の従業員日比野二郎外十三名)を近藤主任及び永田主任代理から隔離して事務室裏手の食堂に追い遣り組合の執行委員保坂光徳がハイタク労連傘下の組合員数名とともに、その見張りに当つた一方右事務室においては組合員等が事務机に駈け上り椅子を破壊し永田主任代理の面前にある机上のゴム敷にペン軸を突き立てる等の狼藉をなし又店内隈なくアヂ・ビラを貼付して気勢を挙げた。そのような情況のもとで、なおも近藤主任及び永田主任代理に対する前同様の暴行が続けられた。しかして申請人杉山はその間に滝尻営業部長から近藤主任に掛つた電話を横取りし、その電話口で「近藤は危いですよ、死ぬかも知れませんよ」と喚いたりした。そのうち近藤主任が卒倒するに至り非組合員の連絡で医師深田良雄が来診したところ申請人杉山、同和田は診察を無用として同医師の立入を妨げた。しかして、やがて近藤主任が回復するや再び執拗に同主任に対し詑状の差入が強要された。なお、その頃非組合員手塚博文外一名が機を窺つて二階の窓から脱出し警察に暴状を注進したので警察から電話で照会があつたが、東京一般所属の石井某が電話口に出て「円満に行つているから直ぐ終る、警察が介入すると不当介入になるぞ」と応答した。とこうして同日午後十一時頃には新宿店勤務の組合執行委員児野博光、輿石重智、丸山国雄、柏木計人及び組合員岩下某が横浜店に到り、その食堂において非組合員等に対し「今新宿店から横浜店に月末集金の様子を電話で聞いたが、今日は天気が良かつたとか、今日の映画は良かつたとか、とんちんかんの返事をした、人を馬鹿にするにも程がある、大阪弁だつたから、この中にいるはずだ」と申向け全く無根の事実に藉口して詑状の差入を要求したりしたが、その後翌二十九日午前四時頃まで事務室えの通路を扼して非組合員の監視に当つた。その間においてハイタク労連の顧問たる神奈川県議会議員伊藤博は同日午前零時頃同店に臨みハイタク労連傘下の組合員が近藤主任に乱暴するのを制止のうえ同主任を促して二階寄宿寮の一室(日本間)に上りハイタク労連の永田書記長及び会社の永田主任代理を交えて事態収拾につき会談し近藤主任に詑状の差入ができなければ会社と組合との正式交渉に移すことを取計らうべく勧奨し少くとも、その取計らいを約する趣旨の証書を差入るべきことを要求した。これに対し近藤主任は滝尻営業部長が既に組合との団体交渉を諒承している旨を告げ証書の差入を拒否したので伊藤県議会議員は滝尻営業部長との間において電話連絡により団体交渉応諾の約束を取付けようと試みたが捗らないため同日午前三時頃折衝を断念して退去した。しかして右折衝中申請人杉山、同中村、同和田及び同近藤竝びに神奈川地評及びハイタク労連所属の数名が相踵いで右日本間に上り込んでいたが伊藤県議会議員が退去すると直ぐさま、その中の某が同所に来合わせていた日比野二郎に「滝尻営業部長に飯も食べさせないで監禁していると言つたのは誰だ」と怒鳴り付け、やにわに、その左頬部を平手で一回殴打し続いて近藤主任を投げ飛ばし永田主任代理を目がけて有合せた将棋盤を投付ける等の暴行をなし、その後も数名で交交近藤、永田の両名に小突く、蹴る等の暴行を加えながら詑状の差入もしくは会社と組合との団体交渉を取持つべき旨の証書の差入を強要した。なお、その間に近藤主任が渇を訴えるや申請人近藤は水を入れた薬罐の口を右主任の口辺に手荒く充てがい一気に水を流し込むという乱暴をしたりした。このような暴状のため近藤主任及び永田主任代理は疲労困憊の極、全く気力を失うに至り申請人杉山から近藤主任がネクタイを絞め付けられた後「書かなくとも宜いから謝れ」と申向けられるや、ただ解放を希う一念から同日午前六時頃相次で陳謝した。これをみた組合側は申請人中村だけを残して全員が引揚げた。しかして以上の暴行により近藤主任は金身疲労に併せ食欲不振を起し且つ右胸部、左背部等に数日間の療養を要する打撲傷を蒙り永田主任代理は左側鼻出血、日比野二郎は二、三日間疼痛を残す左頬部打撲傷の各創傷を負つた。

以上がその認定であつて甲第三十八号証、同第四十、四十一号証、同第四十七号証の一、同第五十号証、同第五十一号証の二の各記載、証人増田恒雄の証言竝びに申請人杉山幸太郎、同中村郁雄及び同近藤久夫の各本人尋問の結果中右認定に牴触する部分はいずれも採用し得るところではなく他に右認定を覆すに足る疏明はない。

しかして右認定の事実について考えると組合側において多数の組合員及び外部団体所属員が共同して近藤主任及び永田主任代理を始め日比野二郎以下の非組合員に対して採つた行動は抗議又は謝罪要求に仮託し多衆の威力を示して身体的自由を束縛し暴行、脅迫に及んだものと理解すべきであつて仮に抗議に値する事由があつたとしても、その手段において法益権衡上違法たるを失わず、もとより組合活動の正当性の限界を著しく逸脱したものといわなければならない。のみならず、その抗議の事由を検討すると、(i)組合側が不当な差別待遇として非難した組合員担当の事務移管の措置は前記二の2、ニにおいて説示したように組合が行うことあるべきストライキに備え金銭出納等の業務遂行に万全を期して一時的に講じられたものであつて、なんら怪しむに足りない。(ii)次に組合側が不当な組合対策として非難した横浜店における集金業務の実施も前記のように同店勤務の組合員を代表した執行委員との協定に基く措置であつた以上特段の事情がない限り後に至つて組合側から非難を浴びるべきいわれはない。(この場合、右協定の労働協約としての効力如何は問題とするに足りない。)申請人等は本町店営業部長から集金中止に関する業務命令が発せられていた折柄とて組合に対する分裂工作の疑があつたものである旨を主張するが、右協定締結の経緯の間に申請人等主張のような会社側の意図が介在したことを肯認するに足る疏明はない。(iii)次に又組合側が激しく謝罪を求めた組合旗取外しの問題にしても、なるほど前記のように近藤主任が組合旗の掲揚を以て集金業務に関する前記協定の趣旨に反するとして、その取外し方を申請人近藤に要求して、これを拒絶された事実があるから会社側の所行であることを疑つて疑えないものではないけれども、前記のように非組合員日比野二郎も亦組合員福田某に対し同様の要求をなした事実がある外、申請人近藤本人も甲第五十号証中において近藤主任は同店勤務の組合員に対し誰彼ということなく同様の要求をなしていた旨自陳しているところからすれば、同店勤務の組合員は当時賃上げ斗争中であつたとはいえ前記協定により三日間の休戦を約した際でもあつたから、その中の誰かが深く考えることもなく近藤主任の要求を容れて組合旗を取外したかも計り知れないのであつて少くともそのような疑問の余地が残されている限り組合旗の取外しにつき会社側がこれを事前に希求していた一事だけでは軽軽に会社側の所行と断定し得るものではない。この点に関し甲第五十号証竝びに申請人近藤本人尋問の結果中、申請人近藤は組合旗が取外されていることに気が付き組合員に訊したが組合員はいずれも関知しないと答えた旨の記載ないし供述部分は、にわかに採用し得るところではない。しかして他には組合旗が会社側によつて取外されたものであることを肯認すべき疏明はない。(iii)なお新宿店勤務の組合員が非組合員に謝罪を求めた電話応接の問題に至つては全く無根の事実にかかるものであつたことは既に認定したとおりである。以上のように組合側の抗議内容は客観的には、すべて理由がなく少くとも会社側の非を一方的に断定して強硬な手段に訴え得るごときものではないとすれば、なお更組合側の行動には暴挙たる感を禁じ得ないのである。

しかも証人飯島潔の証言により真正に成立したものと認める乙第二十五号証竝びに右証言によれば横浜店において右事件が起きるより二日前の同月二十六日には会社の新宿店においても、これに類似する次のような事件が発生したこと、すなわち組合幹部たる申請人杉山幸太郎、同大沢悟、同山口嘉昭、同中村郁雄及び同和田端夫は同日午後六時三十分頃組合員約三十名及び外部団体所属員数名とともに同店に押し掛け、その一階事務室において同店主任代理飯島潔に対し、たまたま不在中の同店店長中島三四郎の行先、帰店予定の有無等を執拗に訊した末、同店長に掛け合えないことが明らかとなるや、あらためて飯島主任代理に向い申請人杉山が「従組の組合員でありながら組合の組合員のことを逐一中島店長に報告しているが君は会社の者か、それなら従組を抜けたら宜い、抜けないのなら店長代理を罷めるよう会社に話してやろう」と難詰し組合の執行委員柏木計人がこれに和して「昨日のこと(同人が缺勤した事実を指す)を店長に叱られたが君が報告したからだ、他にもそういう目に会つた者がいたら申出よ」と喚き立て飯島主任代理の応答には組合員等が罵声を以て酬いた、その挙句申請人杉山は組合員の行動を会社に報告しないことを誓約する趣旨の文書の差入まで要求し申請人中村とともに卓を叩いて威迫し飯島主任代理がこれを固く拒否して沈黙に陥るや他の組合員等は紙片と鉛筆とを差し与えて「早く書け」と迫つたり「返事せよ、黙つているところは中松支店長に教育されたのか」等と罵倒したりした、やがて又申請人杉山は「今日ここに来ている上部の人はこのようなことには相当経験の深い人で今日はおとなしく話をしているが君が質問に答えないと何をするか判らない」と申向けて脅迫した後、組合執行委員児野博光と交交に「今日二階から下げてある赤旗(組合旗の意)に手を触れたのは誰か知つているか」とか、「先日表の雨戸に貼つたビラを剥したのは誰か」とか彼此詰問し、これに対し飯島主任代理が応答中、他の組合員等は会社もしくは中島店長又は飯島主任代理の悪口を記したアヂ・ビラを店内の柱、窓硝子及び天井に貼り付けた、かくするうち同日午後八時三十分頃飯島主任代理はその長男の発熱を知らせ帰宅を求める電話に接したので組合執行委員輿石重智に申出て申請人以下の組合員等に事情を訴えたところ申請人杉山は「今日はこれで打ち切るが今後このようなことはこのままでは済まない」と脅し文句を残し組合員等に労働歌を合唱させたうえ全員を促して引揚げたことが一応認められ、右認定に牴触する申請人山口嘉昭本人の供述部分は採用し難く他に、右認定を動かすに足る疏明はなく、右事件と横浜店における前記事件とを対比すると組合側の行動には組合幹部の外、多数の組合員が参加し会社の職制に対し難癖を付け激しく謝罪を求めて、いわば吊し上げを行つた大筋において極めて酷似するものが認められるとともに、これが中一日を置いただけで連続して発生したとすれば特に反対の事情がない限り右両個の事件は組合が斗争目的達成のため計画的に起したものと推認するのが相当である。事実又、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第四十五号証、証人古山忠治の証言によれば組合はこれよりさき同月二十五日斗争委員会を構成する組合の三役及び執行委員が出席し東京一般の幹部一名及び国鉄労働組合の幹部二名の参加を得て前記ストライキ後初の共同斗争会議を開催して斗争方針を討議し組合の内部事情に鑑みてストライキに代え会社の各店においてリボン斗争、ビラ貼り、集会を継続的に行う外、各店別に順次店長又は主任級に嫌がらせを行つて会社に威圧を加え且つ組合員の士気を昂めること、これがためその店の組合員全員が参加し組合幹部一、二名が指揮に当り他の幹部もできるだけ行を共にすることを計画し同月二十六日には新宿店において、同月二十八、九日には横浜店において右計画を実行したものであることが一応認められ甲第五十五号証の一、二の各記載は必ずしも右認定の妨げとはならず甲第五十四号証及び同第五十六号証中右認定に反する記載部分は採用し難く他に右認定を左右するに足る疏明はないのである。しかして申請人等はいずれも前記認定のように組合の三役もしくは執行委員として前記賃上げ斗争に関する斗争委員会を構成したものであるから右認定の斗争計画の決定に関与したことが明らかであるのみならず、前記認定の事実によれば申請人杉山幸太郎、同中村郁雄、同和田端夫及び同近藤久夫は同月二十八、九日の横浜店における組合側の行動に参加し卒先して実行に当つたものというべきである。従つて右杉山以下四名の申請人等は勿論、申請人大沢悟及び同山口嘉昭も亦特に反対の事情がない限り右横浜店における暴行事件につき責任があるものといわなければならない。

ハ  (懲戒事由その三―勤務状況)

被申請人は申請人杉山幸太郎、同大沢悟、同山口嘉昭、同和田端夫及び同中村郁雄の五名につき平素勤務が怠慢でその成績も不良であつたと主張し、これを懲戒事由の一に掲げるが、仮にその勤務状況が被申請人主張のとおりであつたとしても前記懲戒事由イ及びロに関する責任の程度において右申請人等五名と格別甲、乙があるとも思えない申請人近藤久夫が勤務状況の如何を問わず右イ及びロの事由だけで解雇されている外、前記認定のように組合の執行委員であつて前記賃上げ斗争に関し斗争委員として前記イ及びロの斗争計画に関与したものと推認され且つロの斗争に参加したことが明らかな保坂光徳、丸山国雄、児野博光、輿石重智、寺本堅一及び保科汪平も申請人等と同時に解雇されているところからすれば被申請人は勤務状況の如何はともあれ前記イ及びロの事由を重視して本件解雇の意思表示をなすに至つたものと推認されるので勤務状況に関する右主張事実の存否の判断は省略する。

4  (綜合的考察)

申請人等がいずれも前記3のイ及びロの懲戒事由につき個人的に責任を免れないことは前記説明のとおりであつて会社がそのように判断したことにはなんら誤がなかつたものというべきところ、右各事由をみると申請人等がその実行計画に関与した組合側の行動は著しく公序に反し会社にこれを甘受させることは妥当を缺くと同時に右計画に関与した事実がある以上その実行に直接赴かなかつた者といえども特段の事情がない限り責任を問われてもやむを得ないものがあると解されるから、会社が右事由を以て申請人等の解雇を決したとしても、あながち不当とはいうを得ないのである。してみると会社が本件解雇当時反組合的意図を有していたことは前記認定のとおりであるが、それだからといつて右解雇の支配的原因もしくは動機が組合の壊滅を図り又は申請人等の正当な組合活動を嫌つたことにあつたものとは、にわかに断定し得るところではない。すなわち申請人等の不当労働行為の主張はその疏明を缺くものというべきである。

三  果してそうだとすれば本件解雇が不当労働行為を構成することを前提とした本件仮処分申請は理由がないから、これを却下すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 駒田駿太郎 北川弘治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例